荻原さんは、僕にとってもっともすばらしい作家であり、それはもう崇拝するといっても過言ではないくらい、もう、なんというか好きすぎる作家なので、色眼鏡なくしてエッセイを読むことなんてできやしないのですが、それでもその色眼鏡を差し引いたとしても、この本はとてもすばらしい一冊だと言えると思います。
「人種がどうのと言えないほど異形のきょうだいを、当たり前のように受け入れるダーク一家を見守ることが、どうしてこれほど心に喜びをもたらすのか。
どうしてこれに感動するのかが不思議なほどだ。同じことはノンフィクションでは起こらないと知っている。現実には得られないからこその感動なのだ。」(8 グリフィン)
「カエルが突然私の中で生きはじめたのは、それが弟と分け合った世界だからだった。ファンタジーが地平を広げるためには、自分の外部の何かとアクセスしていることも重要なのだ。空想が、逃げ込むだけの病的なものになるか、病的なものを乗り越えてクリエイティブな力の源泉になるかは、たいそう微妙ながら、そこに分かれ目があるようだ。」(10 カエル)
「ありそうに思えてくるもの、空想と承知しても生き生きと動き出してくるものは、物語世界の風土や歴史にあらかじめひそんでいるものに、リンクするかぎを持っていないとならない。ファンタジーだから理屈抜きでいいと考えてはならないのだ。」(11 マメイヌ)
至言ですねぇ。
自分の考えと一致する部分もあれば疑問に感じる部分もあるけれど、荻原さんという、日本で屈指のファンタジー作家が(というか、日本人の日本人による日本人のためのファンタジーを書いた人は荻原さんをおいて他にいないと思いますが)、「ファンタジーとはなにか」を真摯に見つめるその姿勢がびしばしと伝わってきます。
本書の中で荻原さんも触れていますが、ル=グウィンの『いまファンタジーにできること』も同じようなテーマで書かれた一冊でしたが、やはり基盤をアメリカに持つル=グウィンと、基盤を日本に持つ荻原さんでは、わかりやすさというかしみこみ具合が違います。
ファンタジー好きには、ぜひ読んでもらいたい一冊。
そうでない人には、ファンタジーに触れてみるガイドブックとして読んでみてもらいたい一冊です。