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青木玉 / 講談社
soko.jpg
知りたがりやの袋は底がない。お勝手道具のこと、ちょっと昔の話、楽しい体験など、色とりどりにつめこんで…

日常のちょっとしたことをこれだけ豊かに、しかも簡潔にまとめられるなんてすごいなぁ、と、青木玉さんの文章を読むたびにそう思います。
読んでいる間は常に吐息が漏れ、頬が緩み、ゆるやかな気分に包まれるのですが、こうして感想を書こうとすると、ぴたりと筆が止まります。
なにを書いていいのか分からない。
ぱらぱらとページをめくり返してみて、ああ、そうかと思い至りました。
随筆というのはそのひとの感じたままを書いたものであり、内容がどんなものであれ、それはそのひとの人柄をそのまま受け入れているに等しいのですね。
問題はなにが書かれているか、ではなく、誰が書いているか、というところなのです。
まぁ、誰も彼もがそうであるというわけではないのでしょうが、僕はそういう風な読み方をするので、内容についての感想をどうこう、という気にはならなかったのですね。
そうと分かれば話は早い、内容を紹介することでそのひとの為人をわずかでも示せばいいのです。


「美しい顔は自分の顔の上に美しい別の顔がのせられているのだ。その顔は生身の表情は受け付けない。顔は喜ばず悲しまず仕草に頼るだけである。(中略)つくづく、でこぼこじゃが薯だといわれようが、ちんしゃくと笑われようが、泣くも笑うが勝手がいい。」(「曙いろのメイク」)

「美味を求めて唐、天竺までも旅をするのもよかろうが、今夜の食卓に一椀のおつゆが添えられたなら、それと共にそこで会った気持ちのいい方達の心遣いを味わえたなら、寒さに向って冬の楽しみが増えたというものである。」(「鰹節」)

「後にも先にも、あんな熱いおにぎりを結んだことはない。(中略)おにぎりという食べもののあり方が、手に滲みた熱さと共に、祖父へ捧げた母の供養の思いも、手伝った人達の母へ寄せた情も、それを食べて、滞りなく野辺の送りを果たすための力添をして下さった方々の気持ちも、改めて思い出の中に鮮やかに蘇ってくる。
 ひと粒ひと粒の御飯をにぎる人の手によって、生涯に一度の思いを宿すおにぎりが生まれる縁もある。」(「たった一度のおにぎり」)


感性が豊かであるということは、なによりの財産に他ならないと思います。
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