三並夏 / 河出書房新社

家に帰れば、父親の若い愛人が母親づら、中学では「うちら、友だちじゃん」の友情ゴッコ、かと思えば、クラス中から無視、無視、無視。教師は勝手な人生論、泣きつこうにも母親は家を出たきり被害妄想の中に生きている。
“この凶器はお前のものだ”
あたしの夢の中で死に神は言った
「喧嘩と仲直りの規則的な羅列が句点も読点もなくノンストップでただつらつらと続いていくような、そういうお付き合いだった。」
この物語は、上記の一文から始まるのですが、その説明はそっくりそのままこの作品の文体に当てはまります。
句点も読点もなくノンストップでつらつらと続いていく。
始めは読みにくいなぁ、と思いましたが、次第にその言葉の連なりが奔流となって流れ出します。まさにマシンガントーク(ちょっと違う)。
作中に挿入される死に神のエピソードは実に秀逸で、切実です。世界を言葉として捉えようとするとこぼれてしまう、もしくは掴みきれない、言い切れぬものを象徴してやみません。
弾を込めたマシンガン。そのマシンガンで、死に神は「みんな同じだけ撃て」と言います。「殺したい誰かを特別に撃ったりするな」と。
つまりそれは、いついかなるときでも偏向するな、ということだと思います。流されるな、しっかり立て。そして誰もを同じように撃て。それができれば苦労はしないよなぁ、と思いつつも、そうあれればいいなぁ、と思います。
で、も。
こういうテーマであれば、やはり児童文学に一日の長があると思いました。決しておもしろくないわけではないし、悪くもないけれど、微妙に物足りない。