カミュ / 新潮社

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作。
『カミュなんて知らない』を見て、読んでみようかなと思って。
『カミュなんて〜』では、ここ最近の理由なき殺人や少年事件の引き合いに出されているし、あらすじを読んでも人を殺した動機は「太陽のせい」、「通常の論理的な一貫性が失われている男」と書かれているので、結構わくわくと読み進めたのですが、なんだかイメージと違う……。
僕は、このムルソーという男、「論理的な一貫性が失われている」と言われるようには見えませんでした。確かに一般的かと言われればそうではないかもしれない、けれど、破綻していると言うには弱いと思う。
でも、不条理を追求した作品としては確かにすばらしい。
ムルソーの息の詰まりそうな絶望が行間に充ち満ちている。
そう、絶望を絶望として受け止めるのではなく、絶望を吸い込み咀嚼し、当たり前の血肉として取り入れるのがムルソーなのですね。
それはすでに絶望と呼ぶには馴染みすぎてしまっていて、改めて取り出すことができない。ただ、しこりのように停滞するだけ。
この作品が、いま・現在書かれたのではない、ということに驚異を覚えます。