監督:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
2005年/ベルギー=フランス

20歳のブリュノ。毎日、仲間と盗みをして暮らしている。恋人はソニア、18歳。ある日、ふたりの間に子供ができる。だが、ブリュノには実感がない。盗んだカメラを売りさばくように、ブリュノは子供を売ってしまう。ショックを受け、倒れるソニア。ブリュノは自分の犯してしまった過ちに気づくのだが……。
なんて秀逸。なんて見事。
ブリュノとソニアのような若者は、実はそれほど特異なものでもないのかもしれない。最近のニュースを見ていると、そんな気がします。
その日暮らし。
先行きゼロ。
想像力の欠如。
ただ、男と女では、決定的な違いがある。
子供を産むのか、産まないのか、だ。
物語はソニアが子供をつれ、退院するところから始まります。
すでに、その時点でソニアとブリュノは決定的に違う。例え、どんなにそれ以前と同じ顔をしていたとしても、同じようにはしゃいでいたのだとしても。
盗みを止め働いてくれ、というソニアを、ブリュノは「クズどもと一緒に働けるかよ」と突っぱねる。そして、手下の少年たちとともにかっぱらいをし、道行く人に「小銭を恵んでください」と手を差し出すのです。
大人になること、それがどういうことなのかを考えることすらせず、ただ生きていこうと思うだけで生きていける。
それはまぁ良い世の中になったと言えるのでしょうが、その豊かさを光とし、生まれた影が考えない子供たちなのだろうなぁ、と思います。
この作品のすばらしいところは、子供を売ってしまったブリュノに、言葉による救済が訪れないことです。
ソニアは言葉を交わすことすらせず、ただ絶対的な拒否をつきつけるだけ。
ブリュノはそこに至って初めて、考えることに辿り着くのです。
説教でもされれば、それを受け入れるか反発するか、とりあえずその時点で方向性が見えてくる。それがない。悩むしかない。
そして相も変わらず盗みを働く日々、その中でブリュノは自分の身を以て大切なことを知るのです。
ラストシーンの静謐さ。あれはたまらなく絶望的です。
でも、手を握ってくれるひとがいて、一緒に泣いてくれるひとがいるということは、なによりの希望でもあるのです。
ああ、絶望と希望が無理なく同居するなんて!
奇跡的だと思いませんか。