監督:赤堀雅秋
小さな鉄工所を経営する中年男の中村は、5年前に木島が起こしたひき逃げ事件で最愛の妻を失ってしまい、抜け殻のようになりながらも復讐することだけを考えて日々を生きていた。やがて、刑期を終えて出所した木島のもとに、復讐を遂げる日までのカウントダウンを告げる差出人不明の脅迫状が届くようになる。そして妻の命日の夜が訪れ、ついに中村と木島は対面を果たすが……。
いい。
正直、物語らしい物語はありませんが、この映画はいい。
まず、役者陣。
めちゃくちゃ豪華で、めまいがするほど。
しかも、みんなすごい演技。
なにこれー。ぞくぞくするほど迫真の演技でした。
中でも一番は、やはり堺雅人。
見ていて空恐ろしくなるほどモンスターじみていました。
そう、堺雅人演じる主人公の中村。
彼はモンスターでした。最初から終盤までは。
というのも、この映画、中村の行動を映していはいても、心情はほとんど映していないんですね。というか、描写が異様に少ない。
言葉として真情を吐露することも、におわせることもしない。ただただ、ひたすら復讐に至るまでの行動を見せていくだけなのです。当たり前だろ?と思うかもしれませんが、これは結構異様なんです。だいたい映画やら舞台やら、とかく芝居というのはわかりやすくデフォルメして観客に感情やら状況を伝えてきます。それがないんです。画面に映るのは、ただただ「行動する中村」だけ。
得体が知れない。底が見えない。
かと思えば、感情をあらわにしてみたりするシーンが不意にあったり。
なんなんだこいつは、とぞくぞくしてしまいます。
ところが。
その他、中村の周りにいる人間は、逆に笑っちゃうくらいにわかりやすい。
典型的というか、ステレオタイプというか、わかりやすすぎるくらいに「キャラクター」なんですね。
わかりやすい悪人、わかりやすい子分、ありふれた「孤独」を抱えたわかりやすい人間たち。
うん。だからこそ、より一層「中村」が際立つというわけで。
しかし、最後の最後、「中村」はようやく「わかりやすく」描かれます。
あー、あー、あー、なるほどねぇ。
長い長い喪が明けたんだな、と。
立ち直るにはまだ早いけれど、ようやく絶望のどん底のさらに底にたどり着けたんだな、と。
時間はかかるだろうけど、一番底についてしまえばあとは上がるしかないですからね。
なんだか『赤い文化住宅の初子』と少し似てる感触がしました。
決しておもしろいと言える作品ではないですし、エンタメ性は皆無ですが、いい映画でした。
そんなところが。