監督:兼重淳
2007年 / 日本

幼なじみのちーちゃんこと千草と、モンちゃんこと悠斗は子どものころから仲良しで、いつもずっと一緒だった。やがてそんな2人も高校に進学し、同じクラスになる。母親が家出し、酒浸りの父親と2人暮らしの悠斗にとって、昔と同じように千草と過ごす時間だけが唯一安心できる瞬間だったが……。
オチというかネタというか、まぁそんなのは開始早々に分かってしまうんですが、その部分をあからさまに描写せず、物語はゆるゆると外堀を埋めるように進んでいきます。
伏線と呼べるほど大したものでもないけれど、その見せ方は上手かったと思います。
物語は思っていた以上に甘々で、普通に甘酸っぱい青春ものだと思ってたのでちょっと面食らいました。
まずね、文章でならなんとか許容できるんだろうけど、実際に高校生男女が「ちーちゃん」「モンちゃん」と呼び合うのはなかなか衝撃的でありました。
あ、甘ぇぇぇぇ!
ただ「ちゃん」付けするだけでこんなに甘く感じられるなんて・……知らなかった。
ちゅーか、も、あの主役ふたりのやりとりが激烈に甘い。
信頼しきってるというかもう誰がどう見てもラブでラブでしようがないっつーか、「ただの幼馴染です」って、そんな言葉誰が信じるか! ってくらいに、ね。
でも、まぁ、これと同じことを幼児がやってたら別にそんなことも思わないわけで、つまりはこの甘さも伏線のひとつというか、故意に演出されたものなんですよ。冒頭に幼いふたりのシーンが挿入されたのには二重三重の意味が込められていたのですね。
しかし、頭ではそう分かっていてもやっぱり甘いものは甘く、自然と苦笑いが浮かびました。
あ、でも、苦笑いといってもそれは嫌味なものではなくて、「ああ、もう、この子たちったら」みたいな微笑ましいやつです。
まさにじゃれあう幼児を見ているような、子犬を見ているような、そんな微笑ましさ。
しかし。
この作品は決定的にラストがいただけない……。
とうとうオチが明かされ、さあクライマックスだ! というところでぐんと盛り上げたのはいいけれど、桜の木の下でのふたりのラストシーンが長すぎる。
正直だれました。
そしてキス。
“悠久の向こう”というタイトルが暗示するものを考えると、やはり唇は到達せずに終わってほしかったなぁ。
そしてその後に出てきたタイトル画面。
あぁ、ここでこのままエンドロールに流れ込むのね、と思いました。
キスをしてしまったことで余韻は多少損なわれたけれど、このままフェードアウトするんなら甘々にほんのり酸っぱさが加わっていい感じだなぁ、でもこの飾り気のなさすぎるタイトルってどうよ、フォントとかさぁなにか効果をつけるとかさぁセンスの見せ所じゃないの、と思っていたらば。
次のシーンが出てきたので驚いた。
続くのかよ。
そうかそうか、ここで最後にがつんといいオチをつけてくれんのか、本当のラストシーンはここからか……と気を取り直して見ていると。
…………うん、確かにがつんとくるオチだった。
でも、なんなの、それ。
武藤先輩の存在がかわいそうすぎる。完っ璧な当て馬じゃん。ていうかむしろ被害者だよ。被害者。
“悠久の向こう”が聞いて呆れるわ。
一体なにがしたかったのか、どういう方向性を持たせたかったのかさっぱり分からぬまま映画は終了。
もやもやもやもやとなんとも言い難い微妙な気分を抱えたままスクリーンを後にしました。
こんなに後味の悪い、というか、後味の気持ち悪い映画は初めてかもしれない。
ああ、あと、その噂の武藤先輩について。
台詞の棒読み加減が半端なく、もしかしてこれは演出かもしれないと思うほどに徹底した棒読みっぷりでした。キャラクタを前提にしても、無表情・無感情を演じるというレベルではなかったなぁ。
でもすごくきれいな子で、黙って立っているだけで画面には華があった。
どこかで見たことあるなぁと思いつつもそれがどこでだか思い出せなかったんですが、帰って調べてみてびっくり。
ああ、縄文ちゃんか!
図録を引っ張り出してきて眺めてみる。おお、そうだこの子だこの子。
縄文VS弥生展のときは調べても誰だか分からなかったのに、いまになってこんな風にひょっこり再会するとは。
縁とは奇なるものだなぁ。
ちーちゃんは悠久の向こう
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