精神病院を舞台にした作品、というと、昨年公開された『クワイエットルームにようこそ』が思い出されます。が、似ても似つかぬ作品でした。
『クワイエット〜』が正気の側からの視点で精神病を克服するものだとしているのに対し、『サイボーグ〜』は精神病の側からの視点で精神病はつきあっていくものだという描き方をしています。
個人的には今作の方が好きでした。
精神病をそういうものだと認めるということは、なんといっても、個人を個人として肯定することが大前提です。その簡単なことがいかに難しいか、をパク・チャヌク流に描いています。
一見すると、全体的にメルヘンチックで意味不明に見える今作ですが、根底にあるのは復讐三部作とたいして変わらないな、と思いました。
復讐三部作は人間の愚かさとか悲しみとかいった負の感情を極端に拡大させて、残忍残虐なある種のファンタジーとして表現していました。
今作は負の感情を正の感情──優しさや純粋さに変えて、やはりこれを極端に拡大させて作ったファンタジーです。
人間は誰しもこういう部分を持っているんだから、上手くそれとつきあっていきなさい、というメッセージが共通していると思います。
自らをサイボーグだと思い、ご飯を食べようとせずに衰弱していくヨングンのために、イルスンが彼女にご飯を食べさせようとするシーンは本当にすばらしかったです。
「君はサイボーグじゃなくて人間なんだからご飯を食べなくちゃ駄目だ」と言うのではなく、「ご飯をエネルギーに変換する装置をつくったから、もうご飯を食べても大丈夫だよ」と言うこと。
それでも踏ん切りのつかないヨングンが「今回は大丈夫でも次に故障したら? その次は?」と震えると、イルスンは言います。「出張修理に行くよ。保証期間は一生!」
この果てしないまでの優しさと純粋さにあふれた画面に、不意に涙がこぼれました。
ああ、パク・チャヌクが愛を描くと、こんな形になるのだなぁ。
あと、この作品はラストシーンが実に秀逸だったと思います。
ある事情により大電力を得る必要があると知ったふたりは、嵐の夜に病院を抜け出して落雷を待ちます。しかし激しい風雨によって簡易テントは吹き飛ばされてずぶ濡れに。いつしか嵐は去り空が白みはじめ、一気に画面は遠景を映し、空に架かる虹が映されて終わります。
直接的には描かれませんが、個人的に、あのふたりはあのまま結ばれた──下世話な言い方になりますが、ずぶ濡れのまま青姦に至ったのだ、と思いました。
「電力を得なければならない」というのはヨングンの病気によります。彼女はご飯を食べることができるようになっても、依然サイボーグのままです。繰り返しになりますが、この作品は、病気を認めて乗り越えて治って良かったね、というような単純なものではありません。病気を含めた個人を肯定して病気とつきあったまま生きていく、という作品です。
つまり彼女の病気はこれからも続いていくし、劇的な解決方法なんて存在しないのです。
ファンタジーは続くのです。
しかし、それをそのまま終わらせなかった。
優しさと純粋さの拡大解釈で描かれたファンタジーを、個人を肯定するという解を与えたあとにきちんと現実へと着地させたのですよ。セックスという生臭さを持ち込むことで。
ファンタジーと現実の共存が行われたのだ、と思いました。
お見事。脱帽です。
あ、あと、これは作品とは関係ないことなんですが……。
この作品、すごく楽しみにしていたんですが、近隣では上映されなくて少し遠出をして見てきました。
昼の回だったのに、スクリーン独り占め。
ええー!?
せっかく単館系をよく入れてくれる映画館なんだから、もっと支えていこうよ地元の人たち。
県境超えて見に来る人もいるんだしさ……。
サイボーグでも大丈夫
http://eiga.com/official/cyborg/