監督:マヌエル・ウエルガ
2006年 / スペイン

1970年代、独裁政権末期のスペイン。サルバドールは、世の中を変えたいと願う多くの若者の一人に過ぎなかった。25歳の若者に下された不当な死の判決。愛する者たちに見守られながら、その瞬間は近づいていく。私たちは決してあの朝を忘れない。哀しくも切ない、けれど愛と希望をくれた“サルバドールの朝を”。
あらすじや予告を見る限り、『白バラの祈り』とよく似た作品だと思ったんですけどねぇ……。
開始早々にいきなり裏切られ、唖然としてしまいました。
史実であることや宣伝文句から鑑みるに、この作品はサルバドールが助かるかどうかをはらはらどきどきしながら見る映画ではありません。
一人の青年サルバドールが、独裁政権下でいかにして権力によって抹殺させられたのか、を見るものです。
前述の『白バラ〜』は、反ナチス運動のビラを配ったというだけでゾフィーは投獄・処刑されてしまいます。裁判として、充分な審理も果たされないまま。
これはまさに独裁政権下での悲劇です。
本作もこれと非常に似てはいますが、決定的に違うところがあります。
それは、サルバドールが犯罪者だった、ということです。
独裁政権打倒を目指し活動するのはいいんですが、サルバドールはその方法がいけない。
活動のためにと銃で武装し、資金調達のために銀行を襲う。
いや、それ、普通に銀行強盗じゃん。
そりゃ捕まっても仕方なくね? どんな理念があろうと、犯罪は犯罪だと思うんですが。
しかも、若者の反体制を象徴するかのように、このサルバドールたちの「活動」はスタイリッシュな音楽と映像で描かれます。その演出自体が悪いとは言い切れませんが(実際よくできていた)、その演出がサルバドールたちの行ったことを正当化している風にも見えてしまう。
やっぱりそれは違うんじゃないかな、という気持ちがむくむくと湧きあがります。ピカレスクならそれでも良かったのかもしれないけれど。この作品はベクトルが正反対だからね。
そして前半をたっぷり使って逮捕前のサルバドールを見せておきながら、その後の描き方が軽すぎる。
サルバドールは警官殺しの罪名で処刑されることになりますが、銃撃で死んだ警官にはサルバドール以外の銃からの弾痕が残っていた。なのに、それをきちんと検死することもなく、裁判でも検分されることがなかった。
この作品で強調すべきはここなのに。そこがひどくあっさりと。さらりと流しちゃうんだもんなー。
これじゃサルバドールに感情移入することもできなければ、サルバドールを救おうという気にもなれない。
なんでみんないきなりサルバドールに優しくなるの? って腑に落ちない気分でした。
時代背景、人物像、なにもかもを知っているスペイン人なら楽しめるのかもしれないけれど、僕にはどうも。ただの無軌道な若者の暴走にしか見えませんでした。
サルバドールの朝
http://www.salvadornoasa.com/