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監督:柴田一成
2007年 / 日本

日本で最も多い名字“佐藤”姓の人々が、全国で相次いで亡くなるというニュースが世間をにぎわせていた。ある日、不良高校生の佐藤翼は、対立する不良グループとの追走劇の最中に異世界へと紛れ込んでしまう。そこでは“佐藤”姓の人々が王の仕向けた鬼に追われ、捕まると殺される鬼ごっこが行われていた。

構成やお話は良く出来ていたと思います。
突然異世界に放り込まれる主人公、その不安と困惑を拭い状況を説明するヒロイン、理不尽な敵、と非常にステレオタイプではありますが、それを上手く見せている。

「捕まったら殺される鬼ごっこ」という異常と、なんでもない日常、そのふたつを同居させたというのが特に上手い。
これが「鬼ごっこ」の緊張感がずっと続く世界だと、見ていて息が詰まる。
常に気を抜けないので、逃げるシーンやアクションシーンの多用になるし、そうなると一週間逃げ続けるという設定にも無理がありすぎる。

その点、「鬼ごっこ」をあのように区切ったおかげで、キャラクタたちがほっと息をつくのと同時に、こちらも息をつける。
この同調性は物語やキャラクタたちに感情移入する上では非常に重要で、知らず知らずのうちに観客を引き込んでしまうという利点を持っています。
そして、逃げるシーンでのスピード感や躍動感と、それ以外のシーンの対比が非常にくっきりと浮かび上がり、物語全体にメリハリが出る。


なかなかいい感じだなー、このまま終わればいいのになー、とどきどきしていたクライマックス。
パラレルワールドもの、ということで、少しだけ不安はありましたし、セカイ系の匂いを漂わせはじめたとき、あ、やばいかもと思い、でもまだこれくらいなら大丈夫だと自分に言い聞かせてはみたものの。

あ あ … … 。

最後の最後に、物語すべてを否定してくれるとは。
なんだかなぁ。
いままでの大逃走劇はなんだったの?

パラレルワールドで人が死ねば、「同一人物」である人間が、こちらの世界でも死ぬ。
まぁ、その理屈はわからないでもないです。それほど無茶だとも感じない。
そのルールが前提にあるからこそ、主人公は父親と妹の危機を救うことを目的としてパラレルワールドに放り込まれるわけです。
つまり、向こうの世界での死を回避することで、元の世界での原因不明の突然死を防ごうということ。
しかし。
最後の最後に妹は両方の世界で危機に直面しますが、主人公は元の世界での危機しか救えません。こっちでは無事助かっても、向こうでは死はもう目前に迫っているわけです。ところが、元の世界で助かった途端、向こうの世界での危機もすんでのところで消えてしまいます。

ん……? あれ、おかしくない……?

「死」を共有するのと同じレベルで「安全」も共有するのなら、はじめからパラレルワールドになんか行かないで、元の世界でしっかり見守ってればいいんじゃないの?

………激しく脱力。
なわけで、ラストシーンも全然おもしろくない。
はああああ。
谷村美月を使うにはもったいなさ過ぎる作品ですよ。
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