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監督:トム・フーパー

まぁ、いまさらなにをかいわんや、という名作ミュージカルの映像化作品。
おもしろかったー。
けれど、これは、今作で始めてレミゼに触れたという人と、ミュージカルのファンとでは少しばかり印象が違うのではないかな、と思いました。

なにが違うのかというと、それはずばり「映像化」されているという点です。
ユゴーの原作と比べれば、当然、ミュージカルは「視覚化」されているわけですが、映画はさらにすすんで「映像化」されている。

ミュージカルは舞台上のセットという枠組みで表現されます。確かにレミゼのセットは非常に大掛かりなものですが、そこにはやはり厳然とした限界があるものです。そこを役者の演技と歌声、そして楽曲がセットの限界を超えた深みと奥行きを演出するわけです。

さてそこで映画ですよ。
映画では、舞台のような曖昧さの入り込む隙はまったくありません(『ドッグ・ヴィル』や『マンダレイ』といった例外もあるにはありますが)。
画面の端々に至る細部までしっかり作りこまれ、画面の中では19世紀のフランスが色濃く立ち現れています。この遊びのなさが、余白を奪い取り、デフォルメの入る余地を著しく削り取ってしまっているのです。

その点でどうしても気になったのが、「ラブリィ・レイディ」と「宿屋の主人の歌」です。
この二曲は、どちらもとてもポップで軽快なメロディにあわせ、いかにも楽しげに歌われています。
けれど、「ラブリィ・レイディ」はファンティーヌが娼婦に身をやつしていく場面ですし、「宿屋の主人の歌」は悪辣なテナルディエ夫妻の悪党ぶりを歌い上げる場面。とても明るく楽しい場面ではありません。
でも、ミュージカルではこれらの場面をコメディ仕立てにしてしまうことで、湿っぽさをできるだけ払拭することに成功していました。
これはただ単純に悲惨さを軽減し湿っぽさをなくす、というだけではなく、この時代の人々の、生き延びるためのしたたかさ、を端的に表しているのではないかと思います。
泣いても嘆いても腹は膨れない。そんな暇があればなんでもやって今日を生きよう。
そんな強さを見せつけてくれます。

この映画はミュージカルをベースに作られているので、当然「ラブリィ・レイディ」も「宿屋の主人の歌」も明るく軽快なメロディであることに変わりはありません。
しかし、決定的に違う。
それは、映像の持つ力です。

工場を追い出され、娼婦へと堕ちていくファンティーヌ。その姿の悲惨なこと! この間、アカデミー賞でアン・ハサウェイが助演女優賞を受賞したそうですが、なるほど力のはいった演技でした。そこには、有無を言わせない迫力があります。
そう、だからこそ、楽曲の味が失われている。
テナルディエ夫妻にしても、ミュージカルでは完全なコメディ担当として、ある意味「愛される小悪党」として表現されていますし、受け入れられています。
が。
舞台上ではコミカルに見える動きや悪行も、しっかりと映像にされてしまうと「うわぁ……」とドン引きしてしまうレベル。そのせいで、どうしてもコメディに見えない。
「ラブリィ・レイディ」は、まぁ、悲壮さを漂わせた歌い方、雰囲気でもまだありかとは思いましたが、こちらは、ちょっと。楽曲と映像とが乖離しかかっているように見えました。

最たるものは、この波止場の場面とテナルディエ夫妻の取扱いでしたが、そのほかにもこうした「映像だからこそ」の違和感をところどころで感じました。
多分これは僕がミュージカルで初めてレミゼに触れ、ミュージカルのファンだからこそ感じた違和感なのだと思います。映画で初めてレミゼを見た人は、それほど感じないのかも。だから、まぁ、言ってしまえば演出の好みの問題になんでしょう。どっちがよくてどっちが悪い、というものではなくて。

うん。
逆に映画だからこそ盛り上がった部分もありますしね。
ア・ベ・セーカフェはよかったな。若者のもえあがるような青々しさが気持ちよかった。
それと「民衆の歌」。
レミゼの楽曲の中でも、屈指の名曲だと思いますが、あの盛り上がりはすばらしかった。
ものすごいエネルギーが画面からあふれていたし、やはりあの大音量で聴く合唱は迫力が違う。ミュージカルの生のすごみとはまた違う迫力がありました。

あ、あと、下水道でのバルジャンとジャベールの最後の対決。
かっこよかったー!! こっぴどく汚れ疲れ果て、もうこれ以上ひどいものはないだろうという姿のバルジャン(+マリウス)としみひとつないジャベール。
その姿がこの二人の生き様をそのまま写し取ったようで。それが強調されているようでした。

それに。
なんといっても。
やはり、エピローグですよ。エピローグですね。
迫力の大音量、オールスター大集合、そして楽曲のかっこよさをそっくり写し取った画面作り!!
ぎゃー。
舞台でもそうですが、やはりここは最高に盛り上がりますね。
も、ね、フルキャストで合唱するあの曲のかっこいいこと。


昨日映画を見終わってから、移動の際のBGMは2003年別所版を聴いています。たまらん……!!
あぁー、また金沢で公演してくれないかなー。
あぁ、本当にレミゼはいいなぁ。
その昔、ミュージカルは苦手だと思っていた僕に、熱烈にレミゼを勧めてくれた友人には感謝するばかりです。見てないと思うけど、しかもいまさらだけどありがとう。
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無題
映画版の一番の見どころは、誰がなんと言おうとコゼット役のアマンダ・セイフライドの可愛さだと思います。
ミュージカルではどう頑張ったってエポニーヌやファンティーヌの影に隠れてしまいがちな彼女を、映画ではきちんと見せ場をつくってあげていて、とても印象的でした。
もちろん、配役がアマンダ・セイフライドだったからというのも大きいでしょうが。
あんなきらきらした瞳で"then make no sound,"とか言われたら誰だってめろめろになりますよそりゃ。
http://www.youtube.com/watch?v=SVFr56GR1mo

ミュージカル、は、新演出版になってから回転盤がなくなってしまったらしく、怖くてまだ観れてません。。
バリケードが回転しないレミゼなんてレミゼじゃない・・・!!!
話し出すと長くなるので、一旦ここら辺でとめておきます。笑
こちらこそ、ありがとう。

あとこれのレミゼの回はぜひ見ておいてください。
http://www.youtube.com/channel/UC_zVrFrgHitxAoZX9vaUDtA/videos
e| | 2014/05/09(Fri)21:11:27| 編集
無題
確かに。可憐でしたね、あのコゼットは。
映画『マンマ・ミーア!』でもすばらしい歌唱力を披露していましたが、レミゼも良かったですねー。

ああ、そう、新演出には回転板がないんですよね……。どうなってるんだろう、と興味はわくけれど、遠征もできず。いつかまた金沢に来てくれないかなーと気長に待つつもりです。もしその前に見られたら、是非感想を教えてください。

あと、レミゼの回、見ました。
確か「少女コゼット」のときにも、同じような話を教えていただいたような気が。違ったかな。
それはともかく、音楽畑の人による分析となると、こんな風になるんですね。実におもしろい。音楽によっても語られる部分がずいぶん大きいんですね。そこがまたミュージカルのおもしろさか、と再認識しました。
nagata| | 2014/05/11(Sun)23:00:50| 編集
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