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中国の植物学者の娘たち
監督:ダイ・シージエ
2005年 / カナダ、フランス
syokubutu.jpg
厳格な植物学者の父親とアンが暮らす植物園に、実習生としてやってきたミン。両親を亡くし孤児院で育ったミンと、母を亡くして以来、父親と2人きりで生きてきたアンは姉妹のように心を寄せ合う。やがて2人の関係は許されない愛へと高まってゆくが、そんなある日アンの兄・タンが現れる。


静かに、そしてゆっくりと始まった物語は、突如燃え上がる炎のような恋、そして激しく深い愛によって幕を閉じます。
そのうつくしいこと!
物語自体もうつくしく、映像もうつくしく、そして主役の二人が限りなくうつくしい。
めくるめくような、うっとりするひとときでした。


時代背景とお国柄なので、仕方ないといえば仕方ないのかもしれませんが、この作品に黒々と塗り込められた男根主義に辟易。なにこれー。
結婚は男性が見初めるもので、女性に選択肢があることをはなから考えもしない父親・チェンと、自分が拒否されることなんて微塵も考えない兄・タン。
ミンが処女じゃないと知った途端に暴力をふるい、ミンを宙づりにしたままホテルに置き去りにするタン。
アンとミンの関係を知った途端、斧を振り上げるチェン。
ふたりの存在がチェンを殺し、その思いが罪だと断じる世間。
(これらすべてに嫌悪を感じ、アンとミンのふたりに激しいシンパシーを感じるのは、前述の通り時代背景とお国柄のなせるものかもしれないけれど、多様性を否定しないでいられるだけの感性を持っていられる現代日本にとりあえず感謝。)

しかし、この男根主義にやられっぱなし、翻弄されっぱなしというわけではありません。
それがこの作品のすばらしかった部分でもあって。
アンとミンは深く愛を育みます。
そしてタンとの結婚を迫られたミンはそれを断るつもりだとアンに告げます。
しかし、そこで同意するかと思われたアンは首を横に振ります。
「タンと結婚すれば、私たちはずっと一緒にいられる」と言って。
そして結婚式前夜、ふたりは「私の純潔はあなたのもの」と言って互いに互いの身を捧げるのでした。

また、アンは厳格なチェンによって抑圧され育ちました。その環境が、ミンとの愛を育む要因のひとつとなり、ミンもまた、そのせいで辛い思いをすることになります。
しかし、アンとミンが互いの手を取ることで状況は変わります。
結局封建的主君に座すだけのチェンは、アンとミンのふたりに依存することしかできないわけです。
自分の思い通りにならないといって怒鳴ることはできても、当のふたりがそんなこと気にしなければそれで終わり。好きなだけ怒鳴るがいいわ、私たちは私たちなんだからと言わんばかりのふたりの態度に、ただ臍をかむばかり。

このふたりの結びつき、つながりの強さが他のなにもかもを圧してあり続ける。
単純だけれど、間違いようのない真実が描かれていました。


それにしても、女体ってのはなんてきれいなんだろう!
曲線の描く優美さは、ほかのなにをもってしても太刀打ちできないんではなかろうか。


中国の植物学者の娘たち
http://www.astaire.co.jp/shokubutsu/
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