監督:板倉真琴
2006年/日本

駅前で酒屋を営む夏井和代は、駅の待合室に置かれたノートに励ましの言葉をつづっていた。いつしか、全国から訪れた旅人たちが悩みや苦しみなど心の叫びをノートに書き記すようになり、和代はその返事を書き続けるようになる。そんなある日、国道を歩いて来た旅人が、人生に絶望した内容の書き込みを残す。
あらすじ・予告を見ている限りでは、よくあるお涙頂戴劇のようでしたが、富司純子と寺島しのぶの親子競演というのに惹かれました。
物語は至ってシンプル。
岩手の雪深い土地にある駅に置かれた一冊のノート。旅人がそのノートに様々な告白を書き、駅前で酒屋を営むおばちゃんがそれに返事を書く。そして次の旅人がそれを読み、また綴る……。そして、その現在を縦糸に、おばちゃんの過去を横糸にして物語は織り上げられていきます。
ただそれだけのことなのに、見ながら号泣してしまいました。
ああ。
好意は好意を、善意は善意を呼び、世界は優しさで繋がっていくのだな、としみいるように思いました。もうね、こういうのに無条件に弱いんですよ。情けは人のためならず。
しかし、ただそれだけだったら、よくできているけれど特に突出したもののない作品として埋もれてしまう。こういうタイプは、善意に充ち満ちた、フィクションだからこそあり得る世界を描ききるか、そうした善意の世界と現実の世界とをつぶし合わないままにそっと重ね合わせるかしないと、偽善臭くうすっぺらくなってしまうものです。
この作品は後者のタイプで、それが自然によくできていた。
世界は確実に善意で回っているけれど、歯車はひとつじゃない。様々に噛み合わさって、はじめてひとつになる。
ただ、どんな噛み合わせが訪れたって、そこに善意は必ずある。たったひとつでも、輝くものがある。
冷えたおむすびの美味しさと、黙々と雪かきをする姿にただただ胸打たれました。
待合室
http://machiaishitsu.com/