監督:堤幸彦
2006年/日本

広告代理店の仕事にも脂が乗り、家庭円満、一人娘は結婚間近と、今まさに人生の“円熟期”に突然襲い来る病魔。若年性アルツハイマー病。
ゆっくり、少しずつ、大切な記憶が消えていく…
「俺が変わってしまっても、俺が俺じゃなくなっても平気なのか?」
「私がいます。私が、ずっと、そばにいます。」
若年性アルツハイマー。笑えないです。ああ怖い。
記憶に関する作品ですが、変にドラマチックにしていないところに共感を覚えます。病気を病気として、きちんと描いた秀作です。
記憶が失われる、というのははっきり言って感覚として分かりにくいです。
我々は体験してない事柄は想像するしか手がなく、想像とはつまり、記憶に依ってはじめて成立する現象だからです。
しかし、作中、それが驚くほどくっきりと理解できるシーンがあります。
あの、自分の行為を後から理解する、という絶望感。どん、と自分自身によって奈落へと突き落とされる感覚。
ああ、そうかこういうことなのか、と初めて深い実感を味わい、もうどうしようもなくなって泣くことすらできなくなりました。
泣いてる場合じゃないよ。いやホント。
樋口可南子がいい女。きれいごとじゃなくて、きれいごとじゃおいつかなくて、ただ、それでもきれい。
「本当はそう思っているのに
きれいごとは言えない
きれいごとって何 きれいな
ことを言えないだけだね」 (「名も無き人」〜『CATCH』)
と歌ったのは小谷さんですが、うん、そうだよなぁ。
きれいなことを口にするのはすごく難しくて、だから適当な方向に日和ってきれいなことを言えない自分を正当化する。「そんなのきれいごとだろ」なんつって。言えないだけのくせして。言うだけの根性も持ってないだけのくせして。
ああ、この作品で樋口可南子が演じたあの姿、あの涙、あれが愛でなくてなにが愛なの。
明日の記憶
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