峰倉かずや / 一迅社

一旦は三蔵一行と別れたヘイゼルだったが、その前に烏哭が現れ、告げる。
『斉天大聖』こそが、凶事の源である──と。
ヘイゼル編中盤戦らしいです。
作者の言う通り、ほとんどヘイゼル出てませんが。
妖怪と結託して町を守る──まぁ良くある話、と思ったら、そういうオチかい。
これはいいねぇ。
「民衆とは得てして愚かなものだよ」
「これからも道士様には尽くして頂かねば この町の為に」
すべてを知った上で偽道士を祭り上げていた住民。乗せられていた道士。
愚かであることが悪徳であるとは限らない、ということですね。
愚かで鈍感で気づかない、というのは、最強です。
だって知らなければ怖いものなんて存在しませんから。
でも。
「生き延びるさ 胸張って死ぬために」
「──…欺瞞だ 人はそこまで強くない」
「──そうかもな …だが これが 俺たちの選んだ道だ」
意識的に愚かになるというのは、やっぱり悪徳です。
愚かであることは悪くないけれど、愚かであろうとすることはひとつの罪です。
気づいたのなら、気づいたことにきちんと悩まなくちゃ。
八戒の、
「次に一緒になるなら『殺しても死ななそうな女性』って心に決めてるんです。」
という台詞と笑顔が痛い。痛い痛い痛い。
泣いて苦しんで悩み抜いて、そうして地べたを這いずってでも前に出る心持ちが、生きるということですよ。