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峰倉かずや / 一迅社
saiyuki_6.jpg
一旦は三蔵一行と別れたヘイゼルだったが、その前に烏哭が現れ、告げる。
『斉天大聖』こそが、凶事の源である──と。


ヘイゼル編中盤戦らしいです。
作者の言う通り、ほとんどヘイゼル出てませんが。

妖怪と結託して町を守る──まぁ良くある話、と思ったら、そういうオチかい。
これはいいねぇ。

「民衆とは得てして愚かなものだよ」

「これからも道士様には尽くして頂かねば この町の為に」

すべてを知った上で偽道士を祭り上げていた住民。乗せられていた道士。
愚かであることが悪徳であるとは限らない、ということですね。
愚かで鈍感で気づかない、というのは、最強です。
だって知らなければ怖いものなんて存在しませんから。

でも。

「生き延びるさ 胸張って死ぬために」
「──…欺瞞だ 人はそこまで強くない」
「──そうかもな …だが これが 俺たちの選んだ道だ」

意識的に愚かになるというのは、やっぱり悪徳です。
愚かであることは悪くないけれど、愚かであろうとすることはひとつの罪です。
気づいたのなら、気づいたことにきちんと悩まなくちゃ。


八戒の、

「次に一緒になるなら『殺しても死ななそうな女性』って心に決めてるんです。」

という台詞と笑顔が痛い。痛い痛い痛い。
泣いて苦しんで悩み抜いて、そうして地べたを這いずってでも前に出る心持ちが、生きるということですよ。
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