結局、海藤くんは平介のことが心配なんだよなぁ。いつか平介の超マイペースな態度が原因で人間関係に亀裂が入るんじゃないかとハラハラしてる。だから見ているともどかしくって、でも自分の言いたいことは全然伝わらなくて、さらにもどかしくって。
うん。だから海藤くんは平介のことが好きなんですよ。ツンデレってやつ? ちょっと違うか。
人よりも自分を上等と思いながらだれかを評価する
それを恥ずかしいと思っても 僕はやっぱりあなたをよい人と思えません
こういうことを、きっちり自覚した上で叫んでいる海藤くんは、ほんとうに誠実。実際いたらちょっとめんどくさいんだろうけど、すごくいい人格。
そして平介と海藤くんの間にひと悶着(?)あって、平介と海藤くんはそれぞれちょっとだけ納得します。
でも、なにを感じ、なにを思ったのか、まるっきり言語化はされません。
台詞とか地の文とかで心情を描写せず、ただ絵で見せる。
この、「語らない演出」が、このマンガは非常に上手い。はじめは高校生と幼児が主人公なのでそうしているのかと思いましたが、高校生同士の絡みでも同じ手法で描いているので、これがこの人の味なんだろうなぁ。いいですよ。
僕は全部が全部文章にしてしまう癖があるようで、昔友達にこんなこと言われました。
読み終わって、「そうか」の一言で終わってしまう。
主人公と同じ場所、境遇に立てない。感覚をともにできない。
ただわたしは主人公がどうなるか見てるだけ。聞いているだけ。
だって、作者が全部、説明してくれるんですよ。
主人公の気持ちが、こうで、ああで、こう変わったって。理由つきで。
わたしは椅子に座って黙って聞いていればいいいんです。
わたしの解釈は必要ない。疑問をもつこともない。その場所(小説)に入り込む
余地がない。だから、小説が赤の他人の出来事にしか思えない。
ああ、そうかって。目から鱗。
説明しなきゃって気持はなかったけど、知らず知らずのうちに、小説を書くんじゃなくて、キャラクタの解説を書いてしまってたんだなぁって。
言われて見れば確かに、自分が好きだなぁと思う作品って、語らないんですよね。
そう思って自分が書いたものを見返してみると、その友人の言い方を借りると「語り手が教鞭を執っている」ように見える。なるほどこれはおもしろくない。
この「flat」は、そういう意味でまったくの対極にあって、キャラクタは特別なことをなにも語らない。作者も注釈を入れない。でも、全部が全部読者に投げっぱなしというわけでもない。きちんと、言語外の描写でそれをあらわしている。いやほんと上手いなぁ、と思わざるを得ません。
最近は海藤くんがクローズアップされた感じが強かったので、次巻からはまた平介とあきくんのハートフルな様子をたっぷり見たいなぁ。