古川日出男 / 新潮社

入り口はやっぱりここにあったの。
このコンディションに。
あたしの絶望に。
あたしはごくありふれたOLだった。
夕暮れの横断歩道で、ひとりの男の子に出会うまで。
融解する時間、
崩壊する日常、
そして──
「ママ」となったあたしの、新しい世界が始まる。
古川日出男について語るとき、おそらく、というか、ほぼ間違いなく僕が感じているこの魅力は伝わらない。
彼の文章を読む度、思う。読めば読むほど思う。語ることに意味はないな、と。
頼むから読んでみて。読んでみなければ分からないものがある、と、文章は不変ではない、と、感じさせてくれる稀有な作家です。
さて『ゴッドスター』。
これは、過去の記憶を一切なくした少年と、その少年を拾った女の物語。
『サウンドトラック』や『ベルカ、吠えないのか?』などは、類い希なる言語感覚と文体ではあったけれど、エピソードを積み重ねて物語を紡いでいく、という部分においてはその他の小説家の小説作法との違いはそれほどなかった。
でも、それが『ハル、ハル、ハル』や今作では崩壊している。
エピソードはない。
いや、あるのか。
うん、ひとつだけある。
ひとつのエピソードについて、とにかく語る。語って語って語る。
今作では主人公が少年を拾ったことが語られる。そしてその少年にカリヲという名を与える。そして主人公とカリヲは新しい世界で親子になった。
これを読んでいて、「え? どういうこと?」と思う人は大勢いると思います。
でも、これ以外に言いようがないんですよ。いやほんと。
んー。そうだなぁ。
少年を拾った、というのは結果論であって、はじめは保護したわけです。「あたし」は。そして、きちんと新聞やネットで行方不明の男の子がいないかどうか調べます。でも見つからない。
それでも現に少年は目の前にいて、記憶を失っている。なにもかも教えなければならない。たとえば食事の仕方。トイレの方法。歯の磨き方。水の飲み方。
そうしたことを教え、少年が経験し、その経験を「あたし」がフィードバックする。そうすることで、少年と「あたし」はやがて体験と経験と記憶が混在していく。
そしてふたりは親子になる。
じゃあ新しい世界とは?
それは、「あたし」が普通にOLをやって、昨日まで生きていた世界じゃない。
だってそこには少年は──カリヲはいない。でも、ここにカリヲはいる。だから、ここはカリヲがいる世界。
結婚も出産も経験したことのない「あたし」がカリヲといるにはどうすればいいのか? 簡単だ。「あたし」はとても若かったときに、誰も知らないうちに結婚した。そして子供を産んだ。それがカリヲ。そして「あたし」は誰も知らないうちに離婚した。
こうして「あたし」とカリヲは親子となり、新しい世界に生きることになった。
……ああ、やっぱりどうやっても語れる気がしない。この作品について。その魅力について。
悔しいなぁ。