菅浩江 / 早川書房

バイオ企業を率いる父によって、成長型の人工臓器を埋め込まれた葉那子には、臓器スペアとして4体のクローンが用意されていた。やがて無事に成長した彼女は、亡き父の想いをもとめ“姉妹”との面会を果たすが……クローン姉妹の複雑な心模様をつづる表題作、『永遠の森 博物館惑星』の後日譚「お代は見てのお帰り」など、先端科学が生み出す心の揺れを描いた9編。
表題作の「五人姉妹」が秀逸! や、ていうか、全部秀逸なんですが、その中でも特に。これは。
成長型の人工臓器の実験体として生きることを義務づけられた女性と、その4人のクローン。
クローンといえどひとりの人間、五者五様の魂がそこには描かれ、しかし、それは全くの別人というわけではないのです。
人間誰しも様々な顔を持っています。それを意識的か無意識的にかに関わらず、場面場面によって使い分けて生きています。
この短編で描かれる五人の奇妙な姉妹たちは、ひとりの人間の中にある(もしくはあるはずだった)人格を五つ抜き出し、それぞれをひとりの人間として登場させているわけです。
つまり、この作品は、数奇な運命を背負ったひとりの女性と、それに巻きこまれて派生したクローンたちの邂逅、もしくは対決というような形を取っていますが、結局の所、壮大な自分語り、ひとりの人間の内面での葛藤と成長を著した物語といえます。
解説にも書かれていますが、この主人公の名前が「葉那子」=「はなこ」≒「花子」という、いわゆる女性の象徴的な名前となっていることからも、これが特定の誰かについての物語ではなく、人間存在全般をあやふやに指し示していることの証拠なのではないかと思います。
そして「お代は見てのお帰り」。
ああ!
あの『永遠の森』の番外編です。
科学技術がどんなに発達しようとも、どれだけ洗練されたスタイルが生み出されようとも、やはりそれを使い生きるのはどこまで行っても人間です。
どんな最先端技術に囲まれようと、決して心はなくなったりしないのですよ。
あと、「箱の中の猫」も好きでした。
これはまさにタイトルのまんま、シュレディンガーの猫をモチーフにした作品です。
宇宙ステーションの実験中、地上との通信でタイムラグが発生した。原因不明のまま、そのタイムラグは加速度的に進行し、もはや地上から宇宙ステーションを観測することすらできなくなり、宇宙飛行士たちは地上に帰ることができなくなった。
そんな悲劇的な状況の中、主人公は恋人である宇宙飛行士に向けて通信を飛ばす。果たしてこの通信が向こうに届くのはいつになるのかは分からない。向こうからの通信もいつ届くのか分からない。
その状況はまさにシュレディンガーの猫、無事でいるのかどうか本当のことは知りようがないが、蓋を開けなければ猫は生きているままで居続ける。
そうしたSF的状況と同じく、主人公の(というか、人間の)心の動きそのものにも、シュレディンガーの猫を重ね合わせています。
自分の本当の気持ちなんて蓋を開けてみるまでは分からない。自分では分かったつもりでいても、実際に箱の中に入っているものを見た途端に、それが偽りであることに気がつくかもしれない。
物理的なものと、心理的なもの。
この二重構造で描かれるシュレディンガーの猫は、とても優しいものに思えました。