新海誠 / メディアファクトリー

◎第一話「桜花抄」/都内の中学に通う遠野貴樹の元に、転校してしまった初恋の相手である篠原明里からの手紙が届く。1995年の冬の終わり。明里との再会を果たすため、貴樹は次第に強くなる雪の中を明里の待つ岩舟駅へと向かう──。13歳のふたりの上に永遠と瞬間が交差し。ふりそそぐ。
◎第二話「コスモナウト」/1999年、高校三年の何もかもうまくいかない夏。種子島に暮らす澄田花苗は、東京から転校してきた貴樹に宿命的な片思いをしている。サーフィンで波に立てた日に貴樹に告白すること。密やかな決意を胸に、花苗は必死に波に向かう──。
◎第三話「秒速5センチメートル」/仕事を終えた深夜の帰宅路、貴樹は灯りの消えた高層ビルを見上げ思う。そんなに簡単に救いが降ってくるわけはないんだ、と──。東京での大学生活、就職してからの水野理紗との出会い、いくつかの喪失とささやかな再生。そしてまた、東京に桜の咲く季節が訪れる。
去年、実は唯一映画館で二度見した作品が、『秒速5センチメートル』でした。
映画を見たときの感想は、もう、「完璧だ」の一言に尽き、一昨年『時をかける少女』のときの「これを超えるアニメ作品はないかもしれない」をあっさりと覆しました。
本当に、あの映像表現はすばらしかった。
その『秒速5センチメートル』が、新海誠自らの手でセルフノベライズ。
「ほしのこえ」の例があるので手放しで歓迎はできませんが、読まずにいる我慢もできず。
「桜花抄」と「コスモナウト」のノベライズは分かるんです。大体予想がつくというか、まっとうに映像を文章にしつつ、文章ならではの補完を加えてくるんだろうなぁ、というやつ。
でも、「秒速5センチメートル」がどうなるのか、が、さっぱり想像がつきませんでした。
映画を見た人なら分かると思うんですが、あの第三話は、映像と音楽があってはじめて顕現した奇跡で、あれを文章に起こすのは不可能です。
そんなざわざわした気持ちを引きずりながら読書開始。
第一話、二話ともに、確かに補完は入っていましたが「ほしのこえ」ほどひどくもなかったです。
そこはかなりほっとしました。
ただ、やはりこの作品は「映像作品として完璧」だっただけに、文章にするとその魅力が少し損なわれている感は否めませんでした。悪くはないけど、べた褒めするほどでもない。という感じ。
そしてとうとう第三話。「秒速5センチメートル」。
ふむ、読んでみればなんてことはない、まぁ確かにこう書くしかないわな、というのが第一印象。
そして、やはり肩を落とさずにはいられません。
映画館のスクリーンで見たときの、鳥肌で全身が総毛立ち心臓が壊れるんじゃないかと思うくらいの感動はどこにも見あたらず。まぁ、「one more time, one more chance」の力がないんだからそれも当然なんですけど。それでも、やはり少しは期待してしまう程度には、第一話、二話ともそこそこ上手くまとまっていたんですよ。
確かにじーんと胸が熱くなりはしましたがね。
それは、単純に、文章で描かれた情景が映像を思い出させた結果、あのときの感動の名残が蘇ってきただけだなー、と思うわけです。
もしこの作品をまだ未見、かつ未読の方がいらっしゃいましたらば、先に小説版を読むことをおすすめします。
そしてそれから映像を。あの完璧な映像作品を。
それか、もういっそのこと映像だけでいいです。