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伊藤計劃×円城塔 / 河出書房新社

19世紀末――かつてフランケンシュタイン博士が生み出した、死体より新たな生命「屍者」を生み出す技術は、博士の死後、密かに流出、全ヨーロッパに拡散し、屍者たちが最新技術として日常の労働から戦場にまで普及した世界を迎えていた。後にシャーロック・ホームズの盟友となる男、卒業を間近に控えたロンドン大学の医学生ジョン・H・ワトソンは、有能さをかわれて政府の諜報機関に勧誘されエージェントとなり、ある極秘指令が下される。世界はどこへ向かうのか? 生命とは何か? 人の意識とは何か?若きワトソンの冒険が、いま始まる。

伊藤計劃の絶筆を円城塔が引き継ぐ。
これを読まずになにを読むって感じですね。感じなんですよ。
一応補足。
伊藤計劃は2007年にデビューしたSF作家で、本作『屍者の帝国』が長編4作目となる予定でした。しかし、病床で冒頭30ページを書いたところで、2009年、34歳という若さで夭折されました。
本作は、伊藤計劃の遺した冒頭30ページをプロローグとし、その後を円城塔が書き下ろしたものとなっています。

舞台は19世紀ロンドン。
ヴィクター・フランケンシュタインによる屍者の製造から100年が過ぎ、屍者が世界のインフラとなって久しい世界。
初っ端からジョン・H・ワトソン、ジャック・セワード、ヴァン・ヘルシングと"有名人"が登場し、ワトソンが英国の諜報員となる……という展開。
『The Indifference Engine』に絶筆となった冒頭30ページが収録されているのを読んだとき、めちゃくちゃ興奮しました。だって、歴史改変ものとスチームパンクの匂い、虚実入り交ざった登場人物、そしてスパイ映画と冒険活劇の予感ですよ!?
しかもこれを伊藤計劃が書くというんだからなぁ。
デビュー作『虐殺器官』で「意識」の在り方その根源を揺るがし、前作『ハーモニー』でユートピアの崩壊と人類の「意識」の消失を描いた末に、意識を持つ存在としての人間と、意識を持たない存在としての屍者をどのような結末に導くのか。
残念ながらその答えは永遠に失われてしまいましたが、円城塔が見事に補完してくれました。

しかし、作品全体を通してのまとまりはあまり感じられず、章ごとに受けるイメージは変わります。というか、以前に自分が読んだ作品からイメージを拝借して頭の中で補完する、という感じ。伊藤計劃ならこう書いたであろう、という部分と、円城塔ならこう書く、というもののせめぎあいの末に、無難なところに落とし込んでいる感じがしました。
そのせいで細部が定まらず、確固としたイメージが確立されなかったのではないかなぁ、と思います。

第1章は「フォックスの葬送」(伊藤計劃・著)。
第2章は「Fighter」(吉田直・著)。
第3章は「パラサイト・イヴ」(瀬名英明・著)。
エピローグは「From the Nothing, with Love」(伊藤計劃・著)。

諸々ありますが、主要なのはこんな感じ。
作品タイトルともなっている「屍者の帝国」というキーワードが、章ごとに意味を次々変えていくのも、こうしたイメージ変遷に一役買っていたようにも思います。
それぞれの章でワトソンが「帝国」の姿を想起するように、僕も「このイメージはどこかで見たことがあるな……ああ、あれだ」、みたいな。
しかし、焼き直しとかパクリだとかそういう悪い意味ではなくて。
プロローグが名実ともに伊藤計劃の作品で、章を経るごとに徐々にその中に円城塔の色がにじみ始め、最終的に円城塔の作品として終わる。
文体の、ひいては作品の色の違いを、章ごとに代わるイメージがうまく受け止めていたように感じられました。
同時代、同キャラクターによる中編小説集、というと少し言い過ぎですが、そうした部分はあったように思います。

まぁ、アウトラインはこのくらいにして。

大英帝国の諜報部員、そして「ユニヴァーサル貿易」というと、否が応でもジェームス・ボンドが思い浮かびます。
ハイテク機器を駆使し、美女とともに生きるか死ぬかの大アクション!
……ところが。
地味! すごい地味。
淡々とアレクセイ・カラマーゾフを追い続けるワトソンたち一行。
まぁ、目立つ諜報部員なんて本末転倒なわけですから、真っ当に考えれば当然なんですが。
プロローグを読んだときに感じた、「一級のエンタメ作品になるのでは!?」という予感は早々に裏切られることになります。
おもしろくないわけじゃない。むしろおもしろい。おもしろすぎる。
まぁ、確かに、エンタメが読みたいんならはじめから伊藤計劃を手に取ったりはしませんね。

せっかくアレクセイ・カラマーゾフにたどりついたものの、そのせいでさらに謎は深まり、ワトソンの苦悩は続きます。
カラマーゾフが追い求めていた(と、ワトソンが考えていた)「屍者の帝国」はがらがらと音を立てて崩れ去り、代わりに新たな「屍者の帝国」の姿が浮かび上がってきます。
たったひとりの生者の王を戴く、数多の屍者たちの国。
そうした閉じたサークルから、生者を屍者へと「上書き」することによる世界支配――全世界に開かれた脅威へと。

そのためのキーを追い求め日本へ飛んだワトソンは、そこで伝説のクリーチャ、最初にして最後のヴィクターの手になる屍者、ザ・ワンとの接触を果たします。
第2部、この日本編は、第1部と比べるとずいぶんエンタメっぽくなっていました。
人間の達人と同等の動きをする屍者に守られた部屋、死闘、ラスボスとの衝撃的な邂逅。
そして暴走した屍者と生者との防衛戦、守られるべきは元アメリカ合衆国大統領と明治天皇。
読者になじみの深い場所、登場人物たちを使っての大立ち回り。少しわざとらしい感じもしますが、正直19世紀末のインドとかアフガニスタンとかロシアでドンパチされるよりも、よっぽどおもしろい。
なんてったって情景がやすやすと目に浮かぶ。

からくも難を逃れたワトソンは、ザ・ワンを求めてアメリカへ。
そして、今度もまたあっさり対象と接触を果たすワトソン。
この辺の緩急の付け方はなるほど上手いと思いました。第1部と第2部の流れに似ているから、きっとこの後なにか大きな爆弾が投下されるのだろうな、と予想できます。
果たしてザ・ワンの口から、衝撃的な事実を告げられます。

「意識」とはなにか。
「屍者」とはなにか。
「生命」とはなにか。

伊藤計劃が数少ない著作の中で問い続け、著し続けてきたその答えに、円城塔が応えたのです。
伊藤計劃が発した問いの答えは伊藤計劃が抱えて逝ってしまいましたが、円城塔はその答えを想像するでも予想するでもなく、自分ならこのように応えるだろう、という形を見事に著していました。

なるほど。
斬新な発想! というものは、正直この作品にはありませんでしたが、この構成の妙と問題提起に対する答えの絶妙さ、そしてオチ。このオチがまた見事すぎる。

伊藤計劃が「007」シリーズに対するオマージュとして著した「From the Nothing, With Love」に対するオマージュとしてのエピローグ。そしてそれ自体が本家「007」へとつながっていくという円環構造。


実は円城塔の作品ってまだ読んだことがなかったのですが、基本的に今作のような作風なんでしょうか。だとしたらだいぶ好みだなぁ。とりあえず『道化師の蝶』でも読んでみるかなぁ。
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