小川洋子 / 筑摩書房

耳縮小用メス…シロイワバイソンの毛皮…年増の娼婦の避妊リング…切り取られた乳首…
「形見じゃ」老婆は言った。
「私が求めたのは、その肉体が間違いなく存在しておったという証拠を、もっとも生々しく、最も忠実に記憶する品々なのだ。これを展示、保存する博物館を作ってもらいたい」
死の完結を永遠に阻止するために 死者が遺した断片を求めて
博物館に対して思い入れがあるため、タイトルに博物館とあると手に取ってしまいます。
図書館の本棚でこの本を見つけたとき、脊髄に電気が走ったような感じがしました。
沈黙博物館。
控えめに背表紙に並べられた文字の、なんと慎ましやかなことか。
一人の博物館技師が偏屈な老婆の依頼を受けることから始まるこの物語は、博物館というものの本質に言及する物語でもありました。
驚くのは、そこに綴られる文章の奥床しさです。
こう、説明くさいというか、主義主張の香りがぷんぷんする文章が並んでいる訳でもないのに、その奥、無言だからこそひしひしと迫ってくるものが感じられます。
ああ、まさに沈黙博物館。
沈黙博物館を作り上げることの描かれたこの作品そのものが、沈黙博物館である訳なのですよ。
収集保存、研究、展示、教育普及。
博物館の持つ役割と働きは多岐に渡ります。なにが最も大事で、などという議論はもはや不要です。そこに順列をつけられないところまで、博物館は来てしまっていますから。
ただ、博物館の出発点はどこをどうひっくり返しても、収集することからはじまるのだなぁ、と、改めて思いました。
どんな意図を持とうが、どんな思惑を課そうが、結局、博物館というものは、モノがないとはじまらないのです。
モノにはじまり、モノにおわる。
モノに対する真摯な姿勢を忘れたら、そこで終わってしまうのですよ。
なにもかも。
一番始めに目についた背表紙の慎ましやかさ、手に取ったときに見えた表紙のうつくしさ。
あれ、これは、と思った通り、吉田篤弘・吉田浩美両氏の手による装丁でした。
クラフト・エヴィング商會の本、買ったっきりで読んでいないことを思い出しました。
や、忘れてたというか、あることは分かってたんですよ。でも、買ってからあまりにも長い間が経っていることに改めて気づいた、というような感じ。
お正月の間に読もうか。