光瀬龍 / 早川書房
『これからの「正義」の話をしよう』を読んで、そこに東洋的視点がまったく盛り込まれておらず残念だったと書きました。そこで今度は東洋哲学で編まれたものが読みたくなり、本作を思い出したというわけです。
萩尾望都のコミックは持っていて何度も読み返していたので、せっかくなので原作を再読してみようと思ったのでした。
アトランティスのあった超古代から人類の死に絶える遠未来まで、人類の、というよりは全宇宙の命運をかけて連綿と続くこの物語は、まず、その冒頭がすばらしい。
時にもし終りがあるとすればそのときまで。
ただ
寄せてはかえし
寄せてはかえし
かえしては寄せ
夜をむかえ、昼をむかえ、また夜をむかえ。
うつくしいですねぇ。言葉の響き、イメージ、そういったうつくしさを兼ね備えたこの文が、物語のテーマそのものをあらわしている、というのが、またすばらしい。
あるときはアトランティスの王、またあるときは神の子イエスの父、またあるときは弥勒でもあり、惑星開発委員会を統べる絶対者「シ」。人類は、そして宇宙は「シ」によって滅ぼされようとしていた。滅びを回避すべく、オリオナエのプラトン、シッダールタ太子、そしてあしゅらおうは遥かな時、遠大な空間を移動し、「シ」と対決する。
こうして乱暴にあらすじを抽出してみると、どこが東洋哲学なんだよと思ってしまいますね。しかし実際に読んでみれば、様々なエピソード、そこから深まっていくキャラクタの思索――そこに描かれる世界が、確かに東洋的なものの見方に依っているのだということがわかります。
そしてクライマックス。あしゅらおう、そして読者は悟ります。あれだけ強大な絶対者に見えた「シ」もまた、より大きな世界の一部であり、生々流転する万物の一にしか過ぎないことを。
生々流転。
ここで冒頭の文句が生きてくるのですね。
ああ、なるほどなぁと思ったら、最後の最後もこの文句で締める。
傑作です。