忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

草野たき / 講談社

律子が一つ年上の幼なじみで、誰もがうらやむ彼氏、琢己とつきあうようになってちょうど一年になる。そんなある日、琢己の口から、小学生の時に引っ越してしまったもう一人の幼なじみ、圭が琢己と同じ高校に通っていることを知らされる。圭の彼女と一緒にみんなで久しぶりに会おうという琢己の提案に素直に喜ぶ律子だったが……。

だけど、心が、身体が、
納得してくれないのだ。

ひさしぶりに草野たきの本を読みました。
あらすじとタイトルを見ていると、幼なじみカップルにもう一人の幼なじみが加わることで描かれる三角関係の話なのかしら……という感じがしますが、いやいやどうしてとんでもない。
相変わらず痛々しい作品、というか、痛々しい人間関係をオブラートに包むことなく書くなぁ。


顔もよく文武両道で礼儀正しい彼氏。
いつもやさしく自分を見てくれる幼なじみ。
頻繁にダブルデートを行う友達カップル。
仕事の忙しい父親とママ友と楽しく過ごす専業主婦の母親。

主人公の周りに張り巡らされた人間関係。
このことごとくをひっくり返し、オブラートをひっぺがし、その裏側にあるものをつきつけられる。
自分をやさしく取り囲んでくれていると思っていたすべてが各々の打算の結果でしかなかったと気づいた律子。
なかなか鬱々しいお話です。
しかし、律子は自分を客観視することができ、しかもそれがどんな悲しいことでもつらいことでも受け入れ認めることができます。
その柔軟なメンタルのおかげで律子は潰れずにすみますし、どこかあっさりとした読後感ですが、よくよく考えると実に苦々しいお話です。お話に引っ張られやすい人は要注意です。


あと、この作品でよく効いていたのが、律子の感情が高ぶったときの表現方法。
全体は三人称で書かれているんですが、ところどころなんの前触れもなく一人称になり、登場人物のセリフと地の文が完全に分離しているんです。
たとえばこんなの。
「で、ライブは来てくれるの?」
 律子はそのひとの顔をまじまじと、見つめた。
「あれ、聞いてないの? 圭にチケット売ってって頼んだんだけど」
 やっぱりすごくきれいな顔をしている。
「あさって、私の出演するライブがあるんだけどね」
 スタイルもいいし、自分が男なら多少性格が悪くても付き合ってみたくなるかもしれない。
「チケット一枚二千五百円を、二千円でどう?」
 でも、きっと長くは続かない。
「うーん、千八百円でもいいよ」
 だっていくら美人でも、むずかしい性格のひとなんて、いっしょにいて疲れてしまうもの。
「じゃあ、千五百円は?」
 付き合いつづけるって、そういうことだ。
「ねえ、いくらなら買う?」
 好きなだけじゃ、つづかない。
「ねえ、聞いてる?」
 急に声が大きくなって、律子はハッとした。

三人称で登場人物の心情を詳しく描写しようとすると、どうしても客観的にならざるをえません。かといって、()で区切って登場人物に長々としゃべらせるのでは芸がない。
そこでの、人称変化とセリフと地の文の乖離。
律子が思考に没頭し、自分の考えや感情が高ぶって周りのことが見えていない様子が一目瞭然だし、否が応にもぐいぐい律子の感情に引っ張られていく感じがします。
単純なようで、実に秀逸な手法だと思いました。
この記事にコメントする
name
title
color
mail
URL
comment
pass   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (チェックを入れると管理人だけに表示できます)
PR
カレンダー
01 2018/02 03
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28
ブログ内検索
Copyright ©   input   All Rights Reserved
Design by MMIT simple_plain Powered by NINJA TOOLS
忍者ブログ [PR]