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京極夏彦 / 講談社

刑事、木場修太郎は、近頃世間を騒がせている「目潰し魔」の捜査に奔走するうち、榎木津との共通の友人で映画会社を経営する川島新造が何らかの手がかりを持っているのではないかと踏む。しかし彼は「蜘蛛に訊け」との謎の言葉を残して行方をくらませる。
聖ベルナール女学院の生徒、呉美由紀と渡辺小夜子は、学院内に飛び交う噂話を追ううちに、望めば人殺しさえ行う悪魔「蜘蛛」と、それを崇拝する「蜘蛛の僕」の存在を知る。教師、本田幸三から酷い仕打ちを受けていた小夜子は半ば勢いに任せ、「本田を殺してくれ」と「蜘蛛」へ叫ぶ。そんな時、美由紀らはかつて「蜘蛛の僕」の一員であったらしい麻田夕子と接触するが、三人ともに窮地に陥っていく。
伊佐間一成は、釣りに訪れた房総半島の興津町で呉仁吉という老人と意気投合する。漁師であった彼の「収集物」の価値を精算すべく伊佐間は、旧知の間柄である今川雅澄を招請する。折りしも近在の旧家、織作家の大黒柱、雄之助の葬儀の最中であり、織作家の使用人である出門耕作から「ついでに、残った骨董品の精算もしてもらいたい」と請われ、今川と伊佐間は連れ立って「蜘蛛の巣屋敷」と渾名される織作の屋敷へと赴く。そこで彼らは織作家の事件に巻き込まれることになってしまう。
目潰し魔と絞殺魔、二つの事件を裏で操り、完全犯罪を目論む「蜘蛛」とは果たして何者なのか。拝み屋・中禅寺秋彦は自ら蜘蛛の手中へと踏み込み、織作家に憑いた闇を落とす。


巻を追うごとに分厚くなっていく百鬼夜行シリーズ。
『姑獲鳥』にしろ『魍魎』にしろ『狂骨』にしろ『鉄鼠』にしろ、いままでのどの作品も複雑怪奇で、さまざまな有象無象が絡みまくっていたことには違いないのですが、この『絡新婦』は、それらとはまた少し一線を画しています。

今作には複数の事件が関与しており、それぞれの事件には実行犯がいます。そして複数の実行犯とは別に、すべての事象を操る真犯人が隠れています。
裏に真犯人がいて実行犯は操られていただけ――という構造は、ミステリでは、というか、物語的には別に珍しくも目新しくもない、言うなれば陳腐とさえいえるものですが、今作は少し違う。

実行犯は自分が操られていることに全くの無自覚で、それぞれ、自分の置かれた状況を自分の意思で何とか打開しようと動いています。
だから、それぞれの事件にはきちんと犯人がいて、その犯人には事件を起こす確かなバックボーンがあり、犯行に至るれっきとした理由(いわゆる動機というやつですね)がある。だから、それぞれの事件はそれぞれの事件できちんと完結してしまっている。その事件単独で眺めるとどこにも矛盾はなく、真犯人の存在などどこにも表れはしない。

ところが、完全に完結しているはずのある事件を別の角度から眺めると、いままでとは全く違ったストーリーが見えてくる。

そして今度はそちらのストーリーをじっくり眺めていくと、これはこれで矛盾がない。バックボーンもしっかりしているし、どこにも第三者の意図的介入なんて見当たらなくて、当事者たちの問題だけで事件は完結している。

1つの事象の別の側面にそれぞれ意味を持たせ、ある側面から眺めている者たちには別の側面がまったく見えてこない。
この『絡新婦の理』で描かれる事件は、俯瞰して見ないことには絶対に理解できない構造となっているのでした。

ここでは、現実に生きる人間たちがある事件の「登場人物」として配置されており、本人たちはそのことに全く気付いていない、という状況が生まれます。そして「登場人物」たちは自分の意思で行動を起こしているにもかかわらず、その行動を観測者がどのストーリーで読み解くか、によって行動の(観測者にとっての)意味が変わってしまうのです。


書きながら思ったんですが、これって、ゴーストライター問題やSTAP細胞問題に似ていますね。
ゴーストライター問題は、もともと誰かの作った「耳の聞こえない被爆2世が作曲した」というストーリーが先にあって、それに乗せられた人たちがたくさんいた。
乗せられた人たちにとっては、提示されたストーリーこそが真実で、音楽そのものは二の次三の次でしかなかった。だから、楽曲の善し悪しとは全く関係のないことなのに、そのストーリーが偽物だったと暴露されて怒った。
そこで怒った人が見ているストーリーと、事件渦中の本人たちが自覚しているストーリーと、もともと興味のない人間が見ているストーリーは全然違う。同じ事象を見ているというのに。

同様に、STAP細胞問題も。
初期、報道はこぞって「リケジョ」「割烹着」「キャラクタの描かれた研究室」とか、STAP細胞について全く関係のない情報ばかりを垂れ流して「小保方晴子」像を作り、STAP細胞そのものよりも「若手女性研究者・小保方晴子」に関するストーリーを作り上げました。
ところが論文に不備があったのではないかという点が指摘されるに至って、そうしたストーリーはぱたっとなりを潜め、別のストーリーがぽこぽこ出てくるようになりました。
曰く、「論文不正の常習犯」。曰く、「理研の利権の犠牲者」。曰く、「上司に取り入るのが上手い悪女」等々。
同じ事象を見ているというのに、観測者によって選択されるストーリーは異なっているという。


話が少しずれました。
なんだかこの作品の真犯人の手法について書こうとするとえらい現実離れした感じになってしまうんですが、実は現実でもよく使われているよということが言いたかったんです。


で。


この『絡新婦の理』で描かれているのは、小説内における真実をすべて事実に還元・分解したのち、自分の都合の良いように組み立て直すという、いわばメタ的な手法を用いた現実の再構築で、京極堂と真犯人が対峙するという物語なのでした。
そう、この事件の真犯人は、やり方は多少違えども、まさにまさに京極堂と同じ術を用いる相手だったのです。

いままでは事件そのものとそれをとりまく状況が複雑怪奇であっただけで、物語自体は通常のミステリの範疇にいた作品が、この『絡新婦』で一気に作品内事情の複雑怪奇さのみにとどまらず、(小説内における)現実・ストーリーをその登場人物自体が積極的に操作する、という手法を用いることで、物語の構造自体を複雑にしてしまっていたのでした。
いやぁ、すばらしいです。おもしろいですね。
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