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京極夏彦 / 講談社

とある商談のため、箱根山中の旅館「仙石楼」に滞在していた骨董商、今川雅澄は、姑獲鳥の夏の一件以来東京を離れて同旅館に居候していた久遠寺嘉親と出会う。時を同じくして、仙石楼へとやってきた中禅寺敦子と同僚の記者・飯窪、カメラマンとして同行した鳥口守彦。彼女らは科学雑誌「稀譚月報」の取材のため、「明慧寺」を訪れようとしていた。だがその「明慧寺」は京極堂こと中禅寺秋彦をしてその存在を聞いたことがないという寺でもあった。
そんな中、仙石桜の庭園に忽然と僧侶の死体が現れる。周りに足跡はなく、不可解な現場に旅館は騒然となる。さらに乗りこんできた神奈川県警の横暴な捜査に業を煮やした久遠寺老人は榎木津に捜査を依頼し、関係者一同で明慧寺に乗り込む。そこには外界と隔絶された閉鎖的で独自の社会が形成されていた。同じ頃、京極堂は友人からの依頼で古書を運び出すため、箱根山を訪れていた。
関口をして「檻」と形容する明慧寺。その中で次々と僧侶たちが殺されていく。警察にも手に負えない明慧寺に憑いた闇を、京極堂が落とす。


『狂骨』を読んでしまったら、なんかたまんなくなって引っ張り出してしまいました。

『狂骨』が主に海辺で展開される話だったのに対し、今回は山。もう、ひたすら山。箱根の奥の奥。あの京極堂ですら存在を知らなかったという「謎の寺」明慧寺を舞台に繰り広げられる僧侶連続殺人事件。

なんというか、もう、今作はこの明慧寺の設定が秀逸すぎて。もう。
秀逸っていうか、巧妙っていうか、巧緻っていうか、もう、とにかく見事すぎる。

京極堂すらも知らない謎の寺、という非常に怪しいベールに包まれて登場した明慧寺は、物語が進む中でちょっと(というか、かなり)変わってはいるけれど「どこにも不思議のない」寺へとベールがはがされてしまいます。

ところが、「変わっているけれどどこにも不思議のない寺」という貌も、物語の進行とともに着々とその姿を変えていきます。
日本仏教会が資金的・人的な面において密かに支援する寺、という実に壮大なものが、何かしらの事実が明るみ出るたびにスケールダウンしていき、最終的には個人の妄執が作り上げた山中異界、というところに落ち着いてしまうのです。

この物語において、事件について調べることと明慧寺が解体されていくことはほぼ同一の意味であり、連続殺人事件がクライマックスを迎える=明慧寺という存在が解体され尽くしたところで、ものすごい爆弾がその姿を現す――という作りになっています。
その爆弾は明慧寺という寺の根源に関わることであり、日本における禅宗の根幹に関わることであり、殺人事件の真相そのものでもありました。

読み終わってから改めて眺めてみると、この物語は明慧寺に始まり、明慧寺に終わる。そういう構造をしていたことに気づかされます。
物語の土台そのものであり、物語の舞台そのものであり、物語の構造そのものでもあった。いやはやまったく、とんでもない強度の設定ですよ。おもしれえ。


そして、今作でさらに特筆すべきなのは、この本が禅宗の入門書となっていることです。
禅を言葉で表現することは非常に難しく、というか、そもそも言葉で表現できないことを悟るために行うのが禅なのですから、言葉にしにくくて当然です。
そうした禅について、禅宗各派の歴史的派生過程やそれぞれの違いを解説しながら禅宗史をおさらいするとともに、禅問答とは何か、修行とは何かということを手掛かりに、禅とは何か、ということの概略がつかめてしまう。
難しく考えず固く構えず、気楽におもしろく物語を楽しむと同時に、禅宗についての表面的な理解を助ける。
すばらしいですね。


二作続けて読むと、一気に京極熱が再燃しました。
次は『絡新婦』だー。
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