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荻原規子 / 徳間書店
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少年の孤独な笛が舞姫の舞に出会うとき
天の門が開き天界の華が降る
人の命と未来が変わる…


とうとうです。待ちに待ちました。
届いたのは昨日のことで、仕事から帰り、風呂に入って身体を清め、それから読みました。
この物語以外のなにかが入り込むのが許せなかったので、ご飯も音楽もいっさいカットで。
ただひたすらに読みました。

いままで、荻原さんの作品をひとまとめに「荻原作品」というように括ってきましたが、それは間違いだったと激しく痛感しました。
同じ荻原さんの作品でも、『かぎ』や『西魔女』、『ゆりかご』といった作品と日本の古代を舞台としたファンタジーは全くの別物です。
世界の密度が違う。
あふれかえるくらいの匂いと存在感。『空色勾玉』のところでも書きましたが、神話や歴史がこころと感性にもっとも強く働きかけてくるのは、その中で育ち・その血をひいている者たちの特権だと思います。
豊饒な世界とキャラクターは、強すぎます。

そして、このお話はまさにまさに物語の基本ど真ん中でした。
これもまた『空色勾玉』のページに書きましたが、物語の基本は「喪失と獲得」です。
主人公の草十郎は源氏の郎党として戦に参加し、そして敗れます。失意の中、六条の河原で舞姫の糸世と出会い、糸世とともに笛を吹くことを掴みます。しかし、それは糸世にもたれかかることに他ならず、結局草十郎は一度は手にしたと思ったものをすべて失い、それでも手放せなかった思いを笛に込め、かけがえのないものと引き換えにとても単純でとても力強いただ一つのことを抱くのです。
『白鳥異伝』よりも『薄紅天女』よりもずっと『空色勾玉』に近いところにいる物語だと思いました。


まだ古代と呼ばれる時代には、「神の力」が人の世にありました。それは勾玉という依り代を媒介に顕現する人外のもので、人の手には余る強大なちからでした。
今回の物語は平安末期が舞台、どうがんばっても古代とは呼べません。この時代になると、もうすでに神の力は失われてしまっています。
そのかわり、草十郎と糸世は互いのこころを依り代に気持ちを媒介にすることで不可思議なちからが生まれます。
それは本来誰もが持つ当たり前のちからなのだなぁ、としみじみ思いました。
確かに主人公達は異能を持っていますが、問題なのは異能の有無ではなく、そうしたこころを持ち互いに触れあっていける姿勢なのだと思います。


いや、それにしても。
鳥彦王ー!!
なんだいなんだい、大活躍じゃないか。すごいぞ。
どうしても鳥彦王は鳥彦本人に思えて仕様がありませんでした。
さらにカラスが好きになりました。
しばらくはカラスを見るたびに頬がゆるむこと間違い無しです。
あの鳥彦の血を継いでいるかもしれない、と思うだけでどきどきしてしまいます。


『風神秘抄』というタイトルが示す通り、読み終えたいま、自分の中に風が生まれたことが分かります。
内から外へ、また、外から内へ。
吹き抜ける風がなにを運んでくれるのか。草十郎に近づければいいなぁ、と仄かに期待を持っています
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