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作・演出:長塚圭史 / 阿佐ヶ谷スパイダース
原作:山田風太郎「魔軍の通過」

幕末へとひた走る、疾風怒濤の時代。
そのあまりに凄惨な結末ゆえに、
歴史の花道から消された信念の集団があった。
敗戦直後の日本を生き抜かんとする若者が、
夜の闇のなか、復讐と血脈がうごめく過去に落ちていく――。
道を失った報復の連鎖のその先に何を見るのか――。

Bunkamuraには何度も足を運んだことはありましたが、コクーンは今回初観劇。
1階Q列ということでだいぶ後ろの方だなーと思っていたのですが、劇場自体そんなに大きくなく、存外近かったな、という印象でした。
舞台上には大きな回転台のようなものがひとつだけ。ほかにセットらしきものは見当たりません。
セットに頼らず、観客の想像力に頼るのだなぁ、とわくわくが募ります。

一応、水戸天狗党についてはどういう集団でどういう末路をたどったのかくらいは知っていましたが、序盤、ばーっと登場人物が増えたとき人間関係をつかむのにちょっぴり苦労し、事前に原作を読んでおけばよかったかな、と思いました。
しかし、そうした淡い後悔もつかの間のこと、登場人物を把握してしまえばきちんと物語に没入できる作りにはなっていました。

とは言っても、この物語は一筋縄ではいきません。
夢と現、現在と過去が入り混じり、なにが本当でなにが虚構なのか、誰が生者で誰が亡霊なのか、どこまでが史実でどこからが妄想なのかが曖昧となり、物語が進めば進むほど、主人公とともに観客である我々も混迷を極めていきます。
そして訪れるカタルシス。
もうわけがわからなくなりかけていたそのとき、主人公たちの出生の秘密が明かされることで、すべてが一つにつながっていきます。
こんがらがっていた糸が、するっとほどけた感じ。
あーなるほどーこういうお話だったのかー。
と、ものすごくすっきりした気持ちで劇場を出ることができました。


きっと、このお話のテーマは「つながる」ってことだったんじゃないか、と思います。
過去と現在。
現在と未来。
現実と妄想。
史実と物語。
死者と生者。
すべてはつながっていて、矛盾があるようで実はどこにも断絶はなく、生命は常に誰かとなにかとつながって存在している。そういう意味で、人死にや虐殺といった凄惨な史実を題材に取ってはいますが、これは生命賛歌の物語だったとも言えるんじゃないだろうか。


それにしても、主人公を第二次大戦直後の人物として設定したのは見事でした。
熱病にうなされるように戦争に参加し、信念も目標もなにもなく、ただただひたすらに穴を掘り続けていた日々を終えてみると、社会はがらりと変わっていた。残ったのは大きな虚無感。

そんな主人公が天狗党の悪夢にのみこまれる。

天狗党といえばその末路は目を覆いたくなるような悲惨さではありましたが、尊王攘夷を掲げ、社会を変えよう、よりよい社会を作ろうという強い信念と確固とした目標を胸に行軍を果たした集団です。
その天狗党の行軍を追体験していく中で、主人公は天狗党にのめりこんでいきます。自らの胸の内に抱え込んだ虚無を埋めるのに、これほどぴったりくるものもありません。
「尊王攘夷」と書かれた旗の中に閃く「八紘一宇」の旗。
なんと言ったらいいものか、あの光景は非常に衝撃的でした。
「生命賛歌」、過去と現在と人と人のつながりを大切にしようということは、つまり、「反戦」ということにつながっていくのだなぁ、と納得させられました。
こう、上手く言葉にできないのがもどかしいのですが。


見終えた直後より、時間を置いた後にいろいろ見えてくるむずかしい(考えさせられる)芝居ではありましたが、見れてよかったです。
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