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小谷美紗子


3.11が、いま現在を生きている僕たちの一つの区切りであることは間違いなく、「戦後」「バブル」に続く「災後」と呼ぶに相応しい、ひとつの時代を作り出しました。
「クレイジーハニー」のパンフレットの中で、野田秀樹はそれを「善意の時代」と呼び、なんでもかんでもが「復興」であり「被災者を励ます」ためにある薄気味悪いもの、と言っています。これは実に的確で、異論を差し挟む余地はどこにもないと思います。

右を向いても左を向いてもどこを見ても「復興」「被災者を励ます」という文言があふれ、さまざまな「善意」が飛び交っていますが、その「善意」は本当に「善意」なんでしょうか。

単純に3.11で受けた衝撃が大きすぎて、それを処理しきれずに、一番わかりやすく手触りの良い衣でくるんで、本質から目を背けているだけなんじゃないでしょうか。

だから、今回のような未曾有の大災害に際したとき、大切なのは忘れないことであり、3.11以前と以後で変質してしまった自分を見つめることです。
その発露として、募金をしたい、ボランティアをしたい、と考えるのならばそれはそれでいいと思いますし、アーティストがなにかを表現したいと考えるのは当然の流れだと思います。
けれど、当たり前の顔をしてそれを「復興」「被災者を励ますため」だと公言するのは全くの筋違いだと思います。
そうした面の皮の厚さ、無神経さ、愚鈍さ、なんと言っていいものか悩みますが、とにかくその鈍感さは恐るべきものです。

自分にできることは自分をどうにかすることだけであり、他人をどうにかしたいのなら、まず自分をどうにかするしかない。
影響を与える人、というのは確かにいるかもしれませんが、それは単に多くの人がその人からなにかを自主的に得ているのであって、決してその人がなにかを発散しているのではない。
人と人が関わることの本質はそういうことだと思います。



「ようやく歌っても良いと思える言葉と気持ちが定まりました。」

小谷さんはそうした言葉とともに、この歌を公開しています。
3.11を経た末に得たものを消化し、歌として昇華する。
歌を聴き、その歌に込められたものを聴いた人間がそれぞれ解釈する。
こうしたシンプルさがなにより必要なのだと思います。思いました。


「それでも言い切ろう 最後は 心だもの」

「僕らは 何も 忘れない
あの人の 誕生日を 卒業式を
思い出す為に 生きて行く
見知らぬ僕らを 繋いで行く」


沁みるなぁ。


小谷美紗子 3月のこと
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