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監督:細田守

山本二三展観覧後、もう、どうしようもなく見たくなったので、帰ってすぐにDVDを取り出してきました。
この作品、公開時は大阪で見ました。
上演30分前に劇場に行ったらすでに席は売り切れで、その後のライブの時間の関係もあって、立ち見で入りました。
足が痛いとか体がだるいとか、そんなことが完全に頭から消えた2時間弱で、おもしろくておもしろくてたまらず、ラスト周辺では心わしづかみにされ、人目もはばからず号泣してました。
なつかしい。もう6年も前のことなんだなぁ。

そして6年経ったいまでも、やはり泣いてしまいました。
ああ、もう、青春映画として完璧です。

もう6年経ってるしテレビでも何度か放映しているし、ネタバレ気にせず書きます。
なんといっても、クライマックスもクライマックス、真琴と千昭の別れの場面。

荒川の河川敷。暮れ行く空、徐々に相手の顔がわからなくなる黄昏時。
千昭が見たがっていた「絵」を、真琴は必ず千昭の生きている時代に届ける、と約束します。
けれど、特別な会話はこれだけ。永遠の別れを目前にして、二人が交わすのは普段どおりの軽口ばかり。
そして、とうとう別れのときが来ます。
「じゃあな」
「じゃあな!」

そう言いあって、二人は別れます。千昭は画面の外へ。真琴はそんな千昭に背を向けて。
その真琴の横を自転車に二人乗りしたカップルが通り過ぎ、真琴は振り返ります。目に涙をためて。
おそらく、このとき真琴の脳裏には、自分がなかったことにしてしまった「千昭が真琴に告白する時間」が浮かんだんでしょう。安易に、本当になんにも考えず、幾度となくやり直し、なかったことにしてしまった、あの告白を。
その自分の行為がどれだけひどいものだったのか、千昭がどんな気持ちでいたのか。
千昭を失い、そしてはじめて自分の気持ちに気づいた真琴には、どれだけ後悔してもしたりないことだったでしょう。

振り返った真琴の視線の先には、走り去る自転車のみ。千昭の姿はありません。そして、ここで大泣き。「なんでだろう」と一言つぶやきながら。
この、「なんでだろう」が、また、いいんですよ。
真琴は、自分がなぜこんなにも泣きじゃくっているのか、全然整理できていないんです。
千昭との別れがかなしいのは確か、けれど、それは友人を失ったかなしみなのか、好きな人を失ったかなしみなのか。それとも絶望的な未来に戻る千昭を案じてのことなのか、自分が千昭にしてしまったことを悔いての涙なのか。いろんな思いがごちゃごちゃになり、ただただかなしくて、真琴は子供のように泣きじゃくったまま、歩き出します。

すると、画面端からなんと千昭が歩いてきて、真琴の肩に手をかけます。そしてぐっと引き寄せ、顔と顔が近づき、あわやキスでもするのか、と思ったら、耳元で一言。
「未来で待ってる」

ぽん、と真琴の頭に千昭が手を乗せ、きょとんとした表情だった真琴の顔が笑みを形作り、
「うん、すぐ行く。走って行く」

くしゃくしゃと髪の毛をいじり、千昭の手が離れ、真琴の目から涙が零れ落ちる。
そして真琴が一瞬驚いた顔をし、画面は一気に引きへ。夕闇迫る河川敷、美しい背景に、ひとり立ち尽くす真琴。暗転。

いつものように野球ごっこをする真琴の顔は晴れ晴れとしていて、視線ははるか彼方へ。真夏の青空。わきあがる入道雲。
そして、「時を かける 少女」というタイトル。

このラスト数分のシーンが、もう、完璧。
「未来で待ってる」という千昭の言葉に、真琴の中のごちゃごちゃしたすべてが一点に収束する様子が、ほんのわずかな描写であらわれているのがすばらしい。
なにより、真琴の返答ですよ。
「うん、すぐ行く。走って行く」ですよ。
真琴は、作中でタイムリープするとき、走り幅跳びの要領で勢いを付けることで時間を跳んでいました。つまり、作中で真琴にとって「走って行く」のは、常に過去だったんですね。
それなのに。
ここではじめて、真琴は「未来」に視線を向けるんです。
千昭を思う気持ちに気づき、しかし気づいた時点でそれは致命的に手遅れであり、そんな自分が千昭のためにできることはなにか。自分がしたいこと、やりたいことはなんなのか。
それを一瞬で悟ったからこその笑み。
ああ、もう、すごい青春。淡い恋愛感情を通して、自分のアイデンティティを確立するこの様子。すごいきゅんきゅんする。
あと、文字じゃ伝わらないんですが、このときの仲さんの演技はすごかった。爆発的な感情の嵐が一瞬で凪ぎ、そこから希望が芽生えた様子がよくわかる。全編通してとても上手いとはいえなかったですが、このシーンは本当によかった。鳥肌が立ちました。

もちろん、こんなこと言うまでもないことですが、千昭が「待ってる」と言ったのは、本当に未来で年を取った真琴と再会しようという意味ではありませんし、真琴も「走って行く」ことで未来に向かってタイムリープしようというわけではありません。
真琴は「絵」が未来においても焼失しないよう、千昭の生きていた時代にも残るようがんばる、という意味ですし、千昭はその「絵」を、ひいては真琴の努力の成果を待ってる、と言っているのです。
ただ単純に「絵」を見たかった、という千昭の願いは、真琴が自分の思いに応えてくれたことの証を見届けることにもなったんです。
切ない。けれど、とても前向きな約束だと思いませんか。

そして、最後の最後にあらわれる「時を かける 少女」というタイトルクレジット。
ここでがつん、と衝撃を受けます。
てっきり「時をかける少女」とは真琴のことだと、タイムリープをする真琴のことだと思っていました。
確かにそれは間違いではないのでしょう。一面では。
でも、タイトルクレジットがこの最後の最後に挿入されることで、また違った意味が浮上してくるのです。
すなわち、「時をかける少女」とは、時代を超えて遺されていく「絵」に描かれた少女のことであり、また、そうして「絵」を遺すことで未来の千昭が受け取る真琴の思いそのもののことでもあったのではないでしょうか。
ああ、粋ですねぇ。
夢や希望、未来に対する確固たる思い。若者は、こうしたものを胸に抱いて夏の空を見上げるべきなんですよ。


そしてタイトルクレジットが消え、映画は終わり、主題歌の「ガーネット」が流れ出します。
も、ね、これが名曲。
あなたと過ごした日々を この胸に焼き付けよう
思い出さなくても 大丈夫なように
いつか他の誰かを 好きになったとしても
あなたはずっと 特別で 大切で またこの季節が巡ってく

初回はもうすでにこの時点で号泣してたけど、その後何回も見て、どんなにこらえてきても、このフレーズを聞くとだめだ。こらえきれない。
果てしない時の中で あなたと出会えたことが
何よりも私を 強くしてくれたね

とかね。
ああ、もう、この純粋な感じはたまらないな。
青春だわー、ほんと、きらっきらしてるわー。

「時かけ」最高。
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