まさかの岡田惠和と堤幸彦のタッグ!
しかも疑似家族もの。
これを見ずしてなにを見るって感じです。
なんだか懐かしい感じのする、直球ど真ん中のホームコメディ&ラブコメでした。
記憶喪失の青年をだまして家族にしてしまう、とか、その青年が実は宇宙人、とか、なかなか馬鹿馬鹿しくもおもしろい設定。
役者も、その突飛な設定を殺さない演技をきちんとこなしていて、トンデモな雰囲気を丁寧に作り上げているのが好印象でした。
少し前に
『シークレットガーデン』のところでも書きましたが、ラブコメの基本は「最悪の出会いから最高の恋へ」だと思います。
それは前述の通り、気持ちの振れ幅が大きいということも理由のひとつですが、もう一つ、徐々に恋心を育んでいく、気持ちを重ねていくその過程がおもしろいからだと思います。
しかし、人間の内面の機微をまともに描いていくと地味になりがちなわけで、その過程を大袈裟かつコメディタッチに描くことは、エンタメ的なおもしろさを獲得しつつ、さらにコメディとシリアスのギャップをも演出することになります。
はじめからお互いにラブラブでは、ラブコメのこのおもしろさがすべて台無しになってしまうわけで、となるとどうしてもラブコメは「嫌い→好き」というのが定型にならざるを得ないのは仕方のないことだと思います。
ところが。
このドラマではその定型をぶち壊してくれていました。
主人公たちは第1話からラブラブだし、はじめからお互いの印象は悪くないんですから。
しかし、ですよ。
それはあくまでも表面上のことだけであって、佐和子の嘘はすぐばれるし、星男の意識はなんだか不安定で別人格があらわれるし、ていうか異星人と地球人ってハードル高すぎるし、よくよく考えてみると、「あれ、これ、きちんと丁寧にお互いの気持ち重ねていってね?」ということに気がつきます。
はちゃめちゃに遊んでいるようで、きちんと王道を踏襲しつつも崩してしまうという離れ業をやってのける、という。
すごいです。
しかし、このドラマ、そのほかにもなかなか奥深いものがありました。
というのも、
達也自殺(未遂) → 異星人憑依 → 星男ときどき達也 → 達也の死 →「星男」
という「星男」の成立過程から考えると、異星人が憑依できるのは死者だということになります。
重田さんの場合はそういった描写はありませんでしたが、祥子ちゃんの場合ははっきりと描かれていましたしね。「一度死んでから生き返った」と。
さてそう考えると、ドラマ中盤で「星男」が達也になってしまったのは、ひとつの身体に二つの魂が共存してしまったイレギュラーのせいだったということがわかります。
星男も達也も魂は異なれど身体は同じなので、ドラマの登場人物たちは割と違和感なく受け入れているように見えますが、ここがトリックの胆です。別人なんですよ。星男と達也は。
で。
やさしく穏やかな星男と、粗暴で暴力的な達也。
正反対なような両者が徐々に溶け合っていくかのように、粗暴だった達也が徐々に丸くなっていく過程を見せていく。これが第二のトリック。
同じ顔をした人間が、目に見えて性格を変えていく。
まるで星男と達也が溶け合って新たな人格が生まれていくかのようですが、とんでもない。
異星人は死者にしか憑依できないんです。
だから、達也は死んでしまったんです。
彼の性格が丸くなったのは、佐和子やその子供たちと触れ合うことで、彼自身が変わっていったからです。
それは異星人がどうとかそんなエキセントリックな理由ではなく、ただただ単純に心と心の交流があたたかかったからです。
そして達也が佐和子に「ありがとう」「さようなら」と告げ、今度こそ本当の意味での(異星人としての記憶も能力も持ち合わせた)「星男」が目を覚ますのです。
出会いと交流、そして別離。記憶喪失の星男が達也へと戻り、異星人としての「星男」へとなっていく。見ている側としては同じ「星男」だと捉えてしまいがちで、実際そのように捉えるよう明らかに誘導されていますが、ここには一人の人間が生まれ、生き、死んでいく過程がぎゅぎゅっと凝縮されていたのです。
どきどきするくらいの密度の濃さ。それをトンデモ設定とコメディタッチで実にお気楽に見せてくれる。むしろ馬鹿馬鹿しくも見えてしまう。すごい手腕ですね。
それと、もうひとつ注目したい点は、節が購入した宇宙人交信装置(?)です。
祥子ちゃんが節のものより小型の機械を使うことで重田さんと星男がなにかを感じ取る場面がありました。ということは、やはりあの機械は異星人がキャッチしうる類のなにかを発していることが見て取れます。
そして節が自分の機械の出力を上げると、なにかに引き寄せられるかのようにスナックにお客さんがあふれてしまいます。
重田さんや星男は異星人としての記憶も自覚もありましたが、祥子ちゃんはまったく自覚がなく、自分を地球人だと信じていました。では、祥子ちゃんと同じく、あの町には自覚がない異星人がほかにもいるのではないか。
スナックに集った大勢の人々、それだけ多くの異星人が住んでいるということになるのではないだろうか。
つまり、あの町にはそれだけ多くの死者が集っているということではないのか……。
死者の町。
字面は恐ろしいけれど、そうした素養を持つ町だからこそ、「戸籍も税金も払っていない」星男が当たり前のように暮らしていける伏線となっているのでは?
本当に馬鹿馬鹿しくも穴だらけの設定のようでいて、実は緻密に計算されているのではないかと思わざるをえない。
まぁ、こんなの勝手な深読みかもしれないですけど。
でも、表面をさらってドタバタホーム&ラブコメとして楽しむだけではなく、いろいろ深読みさせてくれる懐の深さも持っている。
おもしろいドラマでした。