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窪美澄 / 新潮社

高校一年の斉藤くんは、年上の主婦と週に何度かセックスしている。やがて、彼女への気持ちが性欲だけではなくなってきたことに気づくのだが――。姑に不妊治療をせまられる女性。ぼけた祖母と二人で暮らす高校生。助産院を営みながら、女手一つで息子を育てる母親。それぞれが課か合える生きることの痛みと喜びを鮮やかに写し取った連作長編。

そういえば田畑智子が濡れ場をやったんだったか、と、書店で目に留まりました。
とりたてて美人というわけでもありませんがなんだか独特のエロさがあり、なにより演技が上手いので好きな女優の一人です。田畑智子。
それで、まぁ、映画は見にいけなかったしその代わりというわけでもありませんが、つい買ってしまいました。

重松清が巻末の解説で「冒頭の段落三つで心をわしづかみにされた。」と言っていますが、まさにまさに。これはすばらしい書き出しでした。
いままで読んだものの中では、舞城王太郎の『阿修羅ガール』の冒頭がとてつもなくすばらしい名文だと思っていました。ていうか思っています。
しかし、この本の冒頭、というか、第1作目「ミクマリ」の冒頭は名文というわけではないけれど、がっちり心をつかんで離さない力がありました。
震えた。

そして、その「ミクマリ」がたったの30ページ足らずでしっかり終わっているのも実によかったです。
もっと書き込もうと思えばできるだけの余地はあしました。
実際、「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」は「ミクマリ」の姉妹作ともいえるものですし、『ふがいない~』というこの本全体が、「ミクマリ」をベースに紡がれた作品群となっているわけですから。
けれど、それらを詰め込まず、すごくあっさりシンプルにまとめ、エンドマークを打ったのが気持ちよかった。
余計なものをそぎ落とし、あっさりシンプルにしたからこそ逆に生々しく、そして力強く感情が浮かび上がってくるようでした。


この作品群に登場する人物たちは、どうしようもない状況にある人たちばかりでした。
有り体に、そして誤解を怖れず言うなら、薄幸なひとびと。
作者は、そうした人々に目を向けながら、決して近づきすぎず、かといって遠ざかりもせず、常に一定の距離を保ったまま、彼ら彼女らを描写していきます。
この距離感は非常に重要で、もうちょっと近づいてしまうとウェットすぎて陳腐になるし、遠すぎればドライすぎて無味乾燥になる。
まさに絶妙の距離感で、しかも、作者はそうした薄幸の人々に、わかりやすい救いなど与えない。
彼らは誰一人として不幸自慢をして涙を誘うようなことはしないし、たったひとつの冴えた魔法のような回答・救いを得て幸福になったりしない。ただ、ほんのちょっと踏み出してみるだけです。

つかずはなれず、ただ淡々と見つめる。
それは簡単なようでいて、きちんと小説として成り立たせるには相当の技量が必要なことです。
そう、江國香織はそうしたスタイルの持ち主ですが、江國さんの作品は、どことなくファンタジーのにおいがする。上手くは言えませんが、よくできた箱庭をのぞいているような感じ。どことなくふわふわとした感じ。
それに比べ、この作品は地に足の着いた現実のにおいがしました。
人生の一部分を見せられているような感じ。
だからこそ、描かれているより以前が積み重なってこの物語があることを受け止められるし、物語が終わってからもその後はどこまでも続いていくと信じられる。
そうした長さ、重さを感じ取れるから、安易な(それは劇的な、と言ってもいいかもしれない)救いは必要なく、小さな、けれど大きな一歩がいつか救いに変わることを確信できるわけです。


映画をぜひとも見てみたくなりました。
内容的にテレビは期待できないだろうから、いつか借りるか買うかして見てみたい。
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